前回の続き。
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します) 右舷一番高角砲座の周辺は前後の張り出しと関係している部分なのでまとめて調整しています。南太平洋海戦当時の隼鷹は高角砲座下のカバー無し、水面見張所と艦首甲板への通路の下側のカバーは有りとしています。
これは
以前に述べた昭和18年6月14日出図の飛鷹の公式図にそのように描かれているのが元々の根拠です。隼鷹の竣工時の公式図では通路下は通常のサポートが描かれているので、これが正しければ隼鷹の竣工後に何かがあって仕様が変わったと見るのが自然です。そして飛鷹は機関故障などにより、直近の2月の入渠までにほとんど作戦行動に参加していないため、飛鷹の問題で通路の下側にカバーを付けたとは考えにくいものがあります。
空母飛鷹一般艤装図 舷外側面より
右舷一番高角砲座周辺の状況
短艇用の張り出しがありませんが、何らかの理由で描かれなかったもののようです。 昭和18年までの隼鷹の行動を追うと、初陣のアリューシャン攻略に当たって激しい荒天続きだった事が搭乗員や乗員の手記に残されています。
以前の記事でも触れたように隼鷹は昭和19年12月にも荒天で飛行甲板前端と艦首機銃座が損傷する被害を受けているので、初陣で艦首甲板への通路が想定外に損傷した可能性は充分考えられます。公式の記録は一切存在しない上にマリアナの直前には確実に存在している高角砲座下のカバーの設置時期など詰め切れない部分もありますが、一応そういう判断で作ることにします。
高角砲座下の内側のサポートは、キットの部品K17から切り出して足りない部分をプラ板で埋めた上で通路の開口部を開けています。なおマリアナの直前はこのサポートの下に穴空きの支柱(部品E34/36)がありますが、竣工時の隼鷹の公式図には描かれていない事から今のところは付けないつもりです。
以下次回。