既に報道で御存知の方も多いと思いますが、マイクロソフトの元共同創業者のポール・アレン氏がレイテ沖海戦で撃沈された
戦艦武蔵の船体を発見したと発表し、既に数枚の写真や短い映像も公開されています。
それらを見る限りでは、艦首の印象が大和の水中映像と比べて若干違和感も感じますが、錨が右舷側しか残っていない(左舷側の錨は沈没直前に艦の傾斜を戻そうとして投棄された)上に、錨収納部周辺の独特の形状などから武蔵でほぼ間違いないと思います。まだ発見されたばかりで写真や映像も限られていますが、それらを見る限りでも武蔵の艦首先端の舷外電路が大和と同じくカバーが付けられていない事や、ムアリングパイプ(艦首先端に開けられた係留索を通すための穴)の大きさがこれまで考えられていたよりも大きくかつ位置も菊花紋章寄りであることなど、知られていなかった事柄が幾つか見受けられます。
呉大和ミュージアムの1/10大和模型の艦首
赤矢印のムアリングパイプが今回の武蔵の写真よりやや小さくまた下にあります。
これはタミヤの新版1/350大和のキットもほぼ同様です。 戦艦武蔵の探索は昭和時代に行われたものの位置を特定することができず、完全に沈まないまま海流に乗って海底を彷徨っているという奇説まで流れたほどで、それだけに今回の発表には心底驚きました。全長200m超の物体が見つからなかった事に奇異の念を覚える方もあるかもしれませんが、海底に沈んでいる物体を探知機等で探すのは至難の業で、日本近海の比較的平坦な大陸棚に沈んでいた戦艦大和の位置特定も過去何人もの実業家が挑戦しては失敗し、戦後40年掛かってようやく発見した経緯があります。ましてフィリピンのこの付近の海底は地形が複雑で水深も深いそうで、例えるならば飛騨山脈に水を満たして谷底に落ちたトラックを探すようなものと書けばその困難さが理解できるかもしれません。本来は日本が率先して行うべき事だったという気持ちは正直あるものの、このような巨額の資産家でもなければ到底成し得ない事業です。報道では探査開始から実に8年掛かりでの発見で、その間に投じた私財を思うと深々と頭が下がるとしか言葉がありません。
船体の詳細な状態はまだ伝わっていませんが、もし水平に着底し大和のような船体を分断するほどの火薬庫の大爆発にも至らなかったとすれば、その探査では破壊が酷くて詳細が判らなかった中央上部構造物の構造や、一部の証言で搭載されたとされる噴進砲の有無もひょっとしたら判明するかもしれません。
大和型戦艦で良く判らない事の一つに艦尾の正確な形状が挙げられます。大和では原形がわからないほど破損していた部分で、今回の発見でもし艦尾に損傷が無ければこれも判明するかもしれませんが、個人的にはその可能性は低いのではないかと考えます。過去に発見された沈没船-ビスマルクもガダルカナルの霧島やその他の艦艇も、多くは艦首か艦尾の先端が脱落しています。造船の専門的なことはわかりませんが、どうも沈没してから海底に着底するまでの過程か着底のショックで非装甲のそれらの部分が損傷する傾向があるようです。武蔵の場合も沈没の際は艦首はほぼ浸水で満たされていたと考えられ、空気が残っていたと思われる艦尾側に損傷が向かう可能性が強いのではないかと見ています。
これまで武蔵は大和の同型艦としてその影に隠れる傾向が強かったように感じます。いずれにせよまだ発見されたばかりですし、今後の調査での続報に期待したいものです。