1/700で軽巡鬼怒を作ってみる(その15)

2015–03–21 (Sat)
 先々週の続き。

(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 製作すべき部品はほぼ製作し、主要な部品の取り付けもほぼ済みました。あとは若干の残作業と張り線で終わります。


 5500トン軽巡の中に、大戦末期に前檣の90cm探照灯2基を1基に減じた上で三番煙突の背面に移動し、設置跡に探照灯管制器を置いたと考えられる艦が複数あります。大和ミュージアム公開資料の公式図では昭和18年の鬼怒、19年の多摩、説明書きが不鮮明で確証はありませんが19年の木曽の公式図にもそれらしい描写が見受けられます。写真や文献での裏付けがないので公式図通りの改装が行われたのか100%の確証は無いものの、他の残存艦にも昭和18年から19年に掛けて工事が実施されたのではないかという疑念があります。この事は少し長くなるので後日まとめて書くことにします。

 上の画像の前檣上部は公式図の記述に依るものです。21号電探の設置に伴い主砲射撃所が撤去され、下の主砲指揮所の前面を拡張して指揮装置を移設すると共に、前檣トップを切り詰めて21号電探に干渉しないように後方に傾斜して設置されました。この改装要項は阿武隈や川内とおおむね同じものです。

 主砲指揮所の背面を延長し探照灯跡地と合わせて探照灯管制器が3基設置されたのも公式図通りですが、探照灯が1基減らされているのに管制器は逆に増えている事になります。艦橋内にも2基設置とあり、これは探照灯跡地への移設が反映されていないと判断して付けなかったのですが、ひょっとしたらこれらの管制器は上空見張方向盤を兼ねていたのかもしれません。管制器の部品はフライホークのエッチング(FH700022)ですが、プラ材を接着して立体的に見えるようにしています。21号電探のアンテナは MK1 DESIGNのエッチング(MS-7005)を幅を切り詰めて使用し、プラ材で回転支柱を作って追加しています。


 艦載艇のダビットやデリックは赤矢印の舷外に付く11m内火艇用がハセガワのエッチング(72703)、黄矢印のパラベーン用がベテランモデルの甲板装備セット付属のエッチング(VTW70011、ただし厚みが足りないので二枚重ねで使用)、その他の艦載艇と雑用はキットのパーツ、滑車類はレインボーモデルのエッチング(RB7029)をそれぞれ使用しています。レインボーの汎用滑車エッチングは応用範囲が広く、このようにキットのパーツであっても簡単に実感を上げることができます。キットのパーツは上側を若干削ったのですが、もう少し細くても良かった気がします。



 製作はあと少しですが、年度末に掛かっているので来週の記事更新はありません。次回は早くても4月4日以降になります。

軽巡鬼怒に関する幾つかの事柄について。

2015–03–16 (Mon)
 前に主砲塔を製作した際に「鬼怒の主砲塔はナックルが無いタイプ」と書きました。学研No.32「軽巡球磨・長良・川内型」p60の解説と主砲防水板の図面からの事でしたが、先日『鬼怒の主砲はナックル有りのタイプではないか』という指摘を受けました。それで改めて手持ちの写真を調べてみました。

(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)
 これは昭和12年1月20日撮影とされる写真(KKベストセラーズ刊日本海軍艦艇写真集巡洋艦p167より)の後部7番砲ですが、赤矢印で示した部分に確かにナックルが認められます。

 これは大正11年11月19日撮影とされる写真(同海軍艦艇史2 p276より)の6番砲ですが、これも矢印で示した部分に明確にナックルが認められます。ナックルの位置は中心線より前の砲塔が円形になる付近にあるようです。どちらも今まで何度も接してきた写真にもかかわらず、注意して見るまで全く気が付きませんでした。前にもありましたが思い込みと慣れで資料に当たると見えるものも見えなくなります。改めて気をつけなければなりません。

 それでナックルが全ての砲塔にあるか確かめてみましたが、
 これは大正11年11月10日撮影とされる写真(KKベストセラーズ刊日本海軍艦艇写真集巡洋艦p166より)の各砲塔部ですが、①の5,6番砲塔には赤矢印の部分に明確なナックルが認められるのに対して、②で示した1~3番砲の天蓋にははっきりとしたナックルが認められません。

 これは昭和12年夏頃とされる写真(海人社世界の艦船増刊No.441日本巡洋艦史p114)ですが、不鮮明ながら1,3番砲にはナックルは無いように見えます。

 これも昭和12年8月23日撮影とされる写真(「軽巡球磨・長良・川内型」p54右上)ですが、不鮮明で1,3番砲にはナックルは有るようにも無いように見えます。ただし同じページの左側に掲載されている写真では1番砲塔には無く3番には有るようにも見えます。

 これらより、鬼怒の主砲塔天蓋のナックルは1~4番砲までは無いか後部ほどはっきりした形では無い(1/700では無視できるほどの差異の)タイプ、5~7番砲が有るタイプの二種類が混在していたのではないかと考えます。上で書いた「軽巡球磨・長良・川内型」p60に掲載されている鬼怒の主砲防水板の図面にはナックルが描かれていませんが、阿武隈等の例から防水板は艦首側の1~4番砲に付けられていたと考えられるため、写真と図面の間に整合性は取れている事になります。

 なお、昭和18年11月作成の公式図では、舷外側面図の主砲塔は全てナックル無し、艦内側面図が全てナックル有りで描かれています。矛盾していますが、全体図では個々の兵器の細かいディテールは簡略化されたり省略される事もあるため、砲塔の細かい形状が実態に即していなくても運用上に於いて支障が起きる部分ではないだろうと考えています。



 太平洋戦争中の鬼怒のディテールのわかる写真は無いと書いてきましたが、改めて調べたところ、昭和17年4月中旬に名取から撮影されたとする写真がありました。丸エキストラ戦史と旅No.26に掲載されているものですが、
 ①の探照灯台と羅針艦橋の天蓋との間に間隔があることから、この艦が間違いなく鬼怒であることがわかります。元の写真では天幕と帽振れの帽子に隠れて1,2番砲は写っていません。②の4番砲の天蓋も不鮮明でナックルの有無はよくわかりません。

 この写真からは他にも舷外電路が設置されている事(ただしベルマウスの付近では電路が錨鎖甲板の縁まで引き上げられています)、94式三座水偵が搭載されている事、前部マストの探照灯台より上の見張所が軍艦色よりも明るい色で塗られている事などがわかります。上述の公式図に舷外電路が描かれていないことは前に述べましたが、防空巡に改装された五十鈴を始め昭和18年後半以降に竣工したり改装を受けた艦の中には電路を装備していない艦があるため、模型の製作でも公式図に従い電路は損傷復旧に伴って外されたと解釈して作っています。

 この項はこれで終わりです。

戦艦武蔵の海底探査映像がネット配信されます。

2015–03–11 (Wed)
 先日発見された戦艦武蔵の海底探査について、日本時間の13日午前10時から1時間半~2時間の予定で探査映像が生配信されるそうです。

 プレスリリースはこちら(英文)
 配信場所はこちら(youtube)

 取り急ぎ連絡まで。

1/700で軽巡鬼怒を作ってみる(その14)

2015–03–07 (Sat)
 前回の続き。

 船体が出来たので中央甲板から形にしてゆきます。まず3本の煙突と中間の大型吸気口を塗装して取り付け、公式図を元にその周辺の装備品を位置関係を見ながら製作します。

(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 作るものは天窓から弾薬箱からロッカーに野菜箱と多種多岐に渡ります。上画像の左下のベンチレーターはフライホークの金属部品(FH700161,162)、定規の目盛り7と8付近の中列にあるウインチはベテランモデルのレジン部品(VTW70011)、9.5の上中列にある高角砲装填演習砲はレインボーモデルのエッチング(RB7025)、他は余剰エッチングの寄せ集めや自作部品などです。


 現在は船体中央部の主要装備品を塗装して取り付けた所まで進んでいます。艦載艇は手前左(左舷艦首側)から11m内火艇、9m内火ランチ、6m通船、奥(右舷)側は9mカッター、9m内火艇で、いずれも公式図の配置に従っています。中央の架台だけの部分はいずれも9mカッターの位置で、これは舷外に張り出すつもりです。


 方位測定室の直前に立っているのは鍛冶工場の煙突です。5500トン軽巡の鍛冶工場の位置は、公式図で確認できる限りでは2番(4番)煙突煙路の前にある五十鈴・阿武隈(・川内)と後部魚雷発射管室の前の多摩・鬼怒に分けられ、その煙突は前者は蒸気捨管等と並んで煙突の側面に、後者は画像のように単独で建てられていたようです。また由良も写真から後者のグループに属している事がわかります。5500トン軽巡の細かい仕様の違いについては前にも述べてきましたが、これも分かれている理由は全くわかりません。

 以下次回。

戦艦武蔵発見のことなど。

2015–03–05 (Thu)
 既に報道で御存知の方も多いと思いますが、マイクロソフトの元共同創業者のポール・アレン氏がレイテ沖海戦で撃沈された戦艦武蔵の船体を発見したと発表し、既に数枚の写真や短い映像も公開されています。

 それらを見る限りでは、艦首の印象が大和の水中映像と比べて若干違和感も感じますが、錨が右舷側しか残っていない(左舷側の錨は沈没直前に艦の傾斜を戻そうとして投棄された)上に、錨収納部周辺の独特の形状などから武蔵でほぼ間違いないと思います。まだ発見されたばかりで写真や映像も限られていますが、それらを見る限りでも武蔵の艦首先端の舷外電路が大和と同じくカバーが付けられていない事や、ムアリングパイプ(艦首先端に開けられた係留索を通すための穴)の大きさがこれまで考えられていたよりも大きくかつ位置も菊花紋章寄りであることなど、知られていなかった事柄が幾つか見受けられます。


呉大和ミュージアムの1/10大和模型の艦首
赤矢印のムアリングパイプが今回の武蔵の写真よりやや小さくまた下にあります。
これはタミヤの新版1/350大和のキットもほぼ同様です。

 戦艦武蔵の探索は昭和時代に行われたものの位置を特定することができず、完全に沈まないまま海流に乗って海底を彷徨っているという奇説まで流れたほどで、それだけに今回の発表には心底驚きました。全長200m超の物体が見つからなかった事に奇異の念を覚える方もあるかもしれませんが、海底に沈んでいる物体を探知機等で探すのは至難の業で、日本近海の比較的平坦な大陸棚に沈んでいた戦艦大和の位置特定も過去何人もの実業家が挑戦しては失敗し、戦後40年掛かってようやく発見した経緯があります。ましてフィリピンのこの付近の海底は地形が複雑で水深も深いそうで、例えるならば飛騨山脈に水を満たして谷底に落ちたトラックを探すようなものと書けばその困難さが理解できるかもしれません。本来は日本が率先して行うべき事だったという気持ちは正直あるものの、このような巨額の資産家でもなければ到底成し得ない事業です。報道では探査開始から実に8年掛かりでの発見で、その間に投じた私財を思うと深々と頭が下がるとしか言葉がありません。

 船体の詳細な状態はまだ伝わっていませんが、もし水平に着底し大和のような船体を分断するほどの火薬庫の大爆発にも至らなかったとすれば、その探査では破壊が酷くて詳細が判らなかった中央上部構造物の構造や、一部の証言で搭載されたとされる噴進砲の有無もひょっとしたら判明するかもしれません。

 大和型戦艦で良く判らない事の一つに艦尾の正確な形状が挙げられます。大和では原形がわからないほど破損していた部分で、今回の発見でもし艦尾に損傷が無ければこれも判明するかもしれませんが、個人的にはその可能性は低いのではないかと考えます。過去に発見された沈没船-ビスマルクもガダルカナルの霧島やその他の艦艇も、多くは艦首か艦尾の先端が脱落しています。造船の専門的なことはわかりませんが、どうも沈没してから海底に着底するまでの過程か着底のショックで非装甲のそれらの部分が損傷する傾向があるようです。武蔵の場合も沈没の際は艦首はほぼ浸水で満たされていたと考えられ、空気が残っていたと思われる艦尾側に損傷が向かう可能性が強いのではないかと見ています。

 これまで武蔵は大和の同型艦としてその影に隠れる傾向が強かったように感じます。いずれにせよまだ発見されたばかりですし、今後の調査での続報に期待したいものです。

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MOMOKO.120%

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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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