重巡鳥海に関する覚え書き(その3)

2014–09–27 (Sat)
 前回、鳥海と摩耶のカタパルトが昭和17年の段階で呉式二号三型だった事と、18年11月の命令で零式三座水偵を搭載している事から、この時までに最低1基は射出可能な五型に換装していると考えられると述べました。その換装時期が判れば三座水偵の更新時期も推測できます。

 昭和18年の鳥海と摩耶の整備工事時期はほぼ同じで、

鳥海 昭和18年2月20日~4月4日、8月16日~9月15日
摩耶 昭和18年1月5日~2月20日、8月6日~9月15日 
 共に横須賀にて実施

 恐らくこのいずれかでカタパルトの換装工事が行われたものと思われますが、詳細はわかりません。既成艦船工事記録にも射出機換装の記述は共にありません。ただ、8月の工事に関しては8月1日付の元々の表には艦名が印刷されてなく、空白欄に後から手書きで記入されているため、当初から予定されていた工事ではなかったと推察されます(「舵取機修理・電探装備」のメモ書きはあります)。そのため、年当初の改装の可能性の方が高いのではないかとも考えますが、18年前半でカタパルトや艦載機が明瞭に写っている写真が共に残っていないようなのではっきりした事はわかりません。

 もっとも両艦共に昭和18年に限定して模型を作る方はそれほど多くはないと思いますし、摩耶に関してはその後の大改装で瑞雲搭載を前提とした二号五型×2になっているのは間違いないようなので、換装時期や装備数の違いはそれほど問題にはならないかもしれません。しかし、鳥海は大改装が成されないまま戦没したので、その1で述べた空母及搭載艦關係報告資料の「三型と五型の混在」がいったいいつの時期を指しているのか、最終時までその状態だったのかという問題が残ります。

 その1で述べた、防研資料閲覧室の資料綴「発着兵器基地兵器関係」の中に、『主要兵器生産補給、消耗数量調査参考書 第七部関係[当分保管]』と赤字で書かれた書類の束があります。戦後間もなくGHQの要請で海軍航空本部第七部がまとめた資料のようですが、兵器の生産補給消耗の明細が書かれた書類の後に、カタパルトの数量計算に関する手書きのメモ書きが数枚綴じられています。その中にこんな表があります。

呉式二号五型射出機
年度※製装備記事
16日進(2)
武蔵(2)大和(2)
 
17(日立)2
(日製)2
阿賀野1
 
18(日立)2
(日製)4
11空2
日立2
矢矧1

摩耶(2)(換装)
損品4
19日立4大淀1
利根2(換装)
鳥海1( 〃 )
損品2
20日立2  
注=※→判読不能文字

 ここでは昭和18年度(18年4月~19年3月)に摩耶が2基、19年度に鳥海が1基のみ呉式二号五型にカタパルトを換装したと書かれています。ただし18年中に換装したはずの鳥海の1基分は加えられていませんし、軽巡能代酒匂への搭載や阿武隈と鬼怒の換装も加えられていません。日進に至っては実際には搭載されていません(一式二号10型の集計表で関連した注釈はあります)。他のカタパルトの記述も含めて全体的に信憑性に疑問があります。

 もしこの19年度の記述が正しいとすれば、鳥海の1基の換装時期はマリアナ沖海戦直後の昭和19年6月26日~7月10日の呉での整備工事しかありません。マリアナ沖海戦で損傷を被った記録がなく、従って昭和18年11月現在のカタパルトは呉式二号五型と三型の混在だった事になり、空母及搭載艦關係報告資料の記述を裏付ける事にはなります。しかしながら、資料の完成予定に於いて「完」とされているのはそれが規定の状態ではないのかという疑念は残ります。なお、上の表の損品2はレイテ沖海戦でカタパルトを損傷した利根の分と考えられます(ただし利根の換装工事が実施されたとすれば「レイテ沖海戦後に艦載機の搭載は止める事とした」と一般的に言われている事と矛盾します)。

 また摩耶も昭和18年11月迄に少なくとも1基は呉式二号五型に換装されていたと考えられ、大改装時の換装が1基で済めば表の計算は合いますが、中破後の損傷写真が示しているように航空機作業甲板周辺の損害はかなり大きく、左舷側のカタパルト支柱は倒壊しかかり、カタパルトも脱落したのか撤去したのか写真に写っていません。右舷側も損傷したとすれば2基共に新品に交換している可能性もあるため、鳥海と同様に11月以前の換装分がカウントされていない可能性もあります。

 以上のことがらをまとめると、

鳥海
昭和17年迄はカタパルト=呉式二号三型×2、三座水偵=94式水偵
昭和18年2~4月、もしくは8~9月に1基を五型に換装、
 三座水偵=零式水偵に更新
昭和19年6~7月に残る1基を五型に換装
摩耶
昭和17年迄はカタパルト=呉式二号三型×2、三座水偵=94式水偵
昭和18年1~2月、もしくは8~9月に1基または2基を五型に換装、
 三座水偵=零式水偵に更新
昭和18年12月~19年4月の大改装工事で
1基または2基を五型に換装または交換

 となります。

 しかしながらこれはあくまでも信憑性に疑問がある資料と極めて少ない情報からの推測であり、確証はありません。そもそも鳥海のカタパルトの混在が事実ならばなぜ二基とも換装しなかったのかという大きな疑問もあります。鳥海と摩耶に関しては個艦の戦時日誌も第四戦隊の日誌も残っていないので、動向を追うにも他艦に比べて資料が足りないのが現状です。ただ、大改装工事を行わなかったり大戦後半まで遅れた両艦に関しては、艦載機の搭載状況は愛宕高雄とは別に考える必要があるという事はわかると思います。


 これは艦載機の話ではありませんが、ついでに。

 鳥海は昭和19年10月のレイテ沖海戦で撃沈され、救助に当たった駆逐艦藤波も間もなく運命を共にし、両艦の生存者は一人もいません。戦闘詳報は元々作成されなかったか、作成されたとしても簡易なものに留まったものと思われ、戦時日誌が全く残っていない事と合わせて、模型製作に於いて最も重要な情報である、艦の外観や装備がどうであったかを知る手がかりはあまり残っていません。

 模型用の資料や作例の中には、鳥海の最終時として煙突周辺に高雄や愛宕と同じような機銃台を設けていたとする解釈を目にします。実際ピットロードの1/700鳥海の組立キットには昭和18年以降用として機銃台の部品が用意されています。

 しかしながら、軍艦は水の上に浮いて活動するものですから、模型のようにパーツを継ぎ足して済むというものではなく、重量に余裕が無くかつ船の基本構造が変わらなければ、何かを足したい時には必ず何かを引かないと運用に支障が出ます。アジ歴で戦時日誌をいろいろ読んでみると、新しい装備を足したり取り替えて重量が増えると予想される時には「代替重量」として別の装備または備品を降ろして釣り合いを取っています。

 鳥海の最終状態に於いて、高角砲すら新型の八九式12.7cm連装砲に更新できず、機銃の装備数も愛宕や高雄に比べて少なかったのは、大改装が行われずバルジが増強できなかったために予備浮力が足りず、重量的に装備を更新する余裕が無かったためではないかと考えています。機銃台を設けるほど重量に余裕があるなら真っ先に高角砲を換装していたはずで、大戦末期に機銃台を装備していたとする解釈には疑問があります。


 鳥海に関する検討はここまでです。
 次は鬼怒と球磨に関して、残存する第16戦隊の戦時日誌から艦載機とカタパルトの装備を追う事で搭載艦関係報告資料の「二艦分の」信憑性を推察することにします。

重巡鳥海に関する覚え書き(その2)

2014–09–22 (Mon)
 この記事は一旦9月20日にupして取り消したものの書き直しです。昭和18年11月の時点で重巡鳥海と摩耶に零式三座水偵が搭載されていた事を示す文献の存在と、同じような形と思い込んでいたカタパルトの形式による違いなどが主な修正点です。



 ここは模型のブログですから、本論に入る前にカタパルトの違いが模型に与える影響について書きます。まず高雄型重巡に搭載された呉式二号三型と五型カタパルトの外形上の違いについて。それぞれ以下の特徴があります。


上:大改装前(昭和13年5月1日)
下:大改装後(昭和14年12月21日)の高雄のカタパルト
共にKKベストセラーズ刊「海軍艦艇史2」より

①射出元の下側の角が斜めに切り上がっているのが三型、角のままが五型
②支柱から射出先への水平底面がトラス1個分短いのが三型、長いのが五型
③カタパルトの高さが若干高いのが三型、低いのが五型
④底面のトラス形状の違い
 他に五型には片側面に大きな楕円穴の空いた板が付いています。

 外形に加えて重要なのは射出性能で、最大3tの呉式二号三型カタパルトでは全備重量3.64tの零式三座水偵は運用できません。後で述べますが軽巡鬼怒が昭和18年に三型から五型に換装したのもこれが理由です。そのため、搭載しているカタパルトの形式で艦載機が規定される事になります。最大4tの五型に重量3tの94式三座水偵を配備することはできても、三型のみを搭載している艦に零式水偵は配備できないのです。



 模型用の資料では高雄型重巡の艦載機は4隻共に開戦前に94式水偵から零式水偵に更新されたと書かれているものが多いようです。愛宕に関しては開戦前に撮影された航空写真と残存している戦時日誌からそれが裏付けられます。しかしながら大改装を行わないまま戦争に突入した鳥海と摩耶に関しては三型のカタパルトをどこかで五型に換装しない限り三座水偵の更新はできないはずです。

 鳥海は昭和16年に撮影されたとされる上空写真と17年のセレター、及びトラックで撮影されたとされる写真にいずれも94式三座水偵が写っている事と以下の電文から、少なくとも昭和17年中は呉式二号三型×2基だったと考えられます。

第ニ水雷戦隊戦時日誌 昭和18年1月分(Ref.C08030100200 p25-26)より

発 R<ラバウル>方面航空部隊指揮官
着 1月2日1717 増援部隊指揮官
[GF<連合艦隊>,11AF<航空艦隊>8F<艦隊>各参謀長]
[ブイン、レカタ各基地]
<中略>
二.零水二熊野機鈴谷機九四水偵一(鳥海機)二一二〇ヨリ
増援部隊揚陸地点着迄コリ岬ヨリ三一五度線以西サボ島北端ヲ通ズル
<以下略>

 愛宕が戦前に既に零式水偵へ更新を済ませており、かつこの時期は二座水偵が95式から零式観測機に更新されるなど機材的な余裕がまだあったと考えられる事から、もし鳥海が1基でも射出可能な呉式二号五型に換装されていたのであれば、三座水偵も零式に更新していただろうという個人的な推測に依ります。


KKベストセラーズ刊「海軍艦艇史2」より

 これは昭和18年1月に撮影された摩耶の写真ですが、底面のトラスの形状及び、支柱から射出先までの水平底面が短い事などから、少なくとも左舷側は呉式二号三型だったと考えられます。

 それで、第ニ水雷戦隊の昭和18年11月分の戦時日誌の中に、鳥海と摩耶に零式三座水偵が搭載されていた事を示す電文が記載されています。

第ニ水雷戦隊戦時日誌 昭和18年11月分(Ref.C08030101400 p30)

発11月5日 YB<遊撃部隊>司令長官
着11月5日1835 4S<戦隊>、7S、8S、2sd<水雷戦隊>各司令官
(958<空>、<判読不能>、各NTF<南遣艦隊>司令長官、司令官)

YB信令第五七号
各艦ハ左ニ依リ速ニ零式水偵ヲ958空ニ派遣シ同隊指令ノ指
揮ヲ受ケハ号作戦ニ参加セシムベシ
一.γ<飛行機>派出区分(搭乗員ヲ含ム)
摩耶、鳥海、筑摩、零式水偵各一機
<以下略>

 このことから、少なくとも昭和18年11月迄に両艦共に少なくともカタパルトの1基は呉式二号三型から五型に換装されていることがわかります。上で述べたように三型のままでは射出最大重量の制限で零式水偵が運用できないからです。

 この電文が出された昭和18年11月5日に摩耶はラバウルで米軍機の爆撃を受けて中破し、高雄愛宕に準じた大改装工事を受ける事になります。その際に撮影された損傷写真を見ると、

KKベストセラーズ刊「海軍艦艇史2」より(下も同じ)

 右舷側カタパルトの射出元の底面の角が切り上がっていません。これによって少なくとも右舷側の1基は呉式二号五型に換装されている事が裏付けられます。

 ただし、別の写真を見ると

 画像右上に予備フロートが写っていますが、形状的に零式三座水偵のものでも、左下に焼け残っている零式観測機のものでもなく、支柱の形状から95式水偵のものでもありません。94式水偵のフロートのようですが、三座水偵がもし零式に更新されていたのなら何故これが残っているのかという疑問はあります。

 以下次回。

昨日の記事に関して

2014–09–21 (Sun)
 昨日書いた鳥海に関する記事ですが、up後に有り難い事に「昭和18年11月の時点で鳥海と摩耶に零式三座水偵が搭載されていた事を示す文献がある」という御指摘を受けました。確認したところ間違いは無く、推察の前提が崩れたので再度記事を書き直します。そのため昨日の記事は一旦撤回とします。何卒御了解願います。

重巡鳥海に関する覚え書き(その1)

2014–09–13 (Sat)
 防研資料閲覧室に「発着兵器基地兵器関係 昭和12年12月24日 昭和20年9月5日」(登録番号⑥技術-兵器-292)という資料があります。これは航空本部総務部第一課担当課員の資料綴で、名称からはピンとこないのですが、航空機が発着する兵器、つまり航空母艦及び艦載機を搭載した艦艇に関係した書類が収められています。ミッドウエー海戦後の緊急空母改装計画の一連の検討資料が有名で、戦史叢書のミッドウエー海戦の巻にも転載されているので目にした方もあるかもしれません。

 この資料綴の中に「昭和十九年十月十六日 空母及搭載艦關係報告資料」という書類があります。その搭載艦関係の現状を示した表に、これまで知られてきた事柄と異なり、かつ計画倒れとも思えない記載が幾つかありました。それを抜き出したのが下のリストです。

艦名射出機計画搭載機成豫定記事
戦艦 山城(×)
三型改二
零観 完但射出機
換装ヲ要ス
 
巡洋艦×鳥海×五型 一
三型 一
零観 三高雄型ニ改装訓令済時期
ヲ得次第工事施工ノ豫定
軽巡艦×阿武隈
×多摩
撤去  防空巡ニ改装
×鬼怒×五型 一観 1  
 五十鈴撤去   
×球磨
一時撤去
  搭載時ハ五型ニ換装ヲ
要ス(通牒済)
×名取撤去   
タンカー×速吸×一一型 一瑞雲 (1)射出機損傷
ニ付換装中
 

 実際の表は印刷縦書きですが、便宜上横書きとしています。青字は鉛筆書き(山城の(×)は○に×)、赤は赤手書きで、作成された書類に後から戦没の印を書き入れたもののようです。昭和19年10月16日付ですが、昭和19年1月に戦没した球磨や同8月の名取や速吸がリストに含まれていて、球磨と名取に関しては上から手書きで二重に取り消し線が引かれています。この資料を作成するために調査を行った訳ではないようで、元になる資料は別にあり、そこからデータを引っ張ってくる際に誤って対象外の戦没艦を加えたものと考えられます。艦政でなく航空本部の文書で、どのような経緯で作られかつどの程度の重要性を持つ資料かは全くわかりません。高度にコミュニケーションツールが発達した現代ですら組織内の異なる部署間の情報共有や意思疎通が充分取れないのですから、沈没時期の確認不徹底な文書が存在すること自体には不思議はありません。

 そのため、参考のため引用はしましたが、内容は個別に精査する必要があり、ここに載っているからこうだ的な事は述べられません。山城のカタパルト三型改二は三型改が二基という意味ではなく、三型改二という形式のものが(1基)あったと解釈すべきものだろうと考えます。


 まずここでは 重巡鳥海のカタパルトが呉式二号五型と三型の混在とされている事に関して推察します。

 以下次回。

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MOMOKO.120%

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職業:自営業見習い
趣味:ブログの通り
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