初代海王丸の現況について

2012–05–27 (Sun)
(2012年5月23日撮影)
(本日の画像はクリックすると拡大表示します)

 先週、半年ぶりに本船に行ってきました。平日は気候の良い時期でも人影を目にする機会はあまり無かったような印象がありましたが、この時はたまたまなのか見学者が絶えることが無かったのが印象的でした。


 これもたまたまなのか、フォアブリッジ天蓋の基準コンパスのカバーが外されていました(上画像左赤矢印)。現役時代の写真映像でこの部分を明確に写したものは無く、また私が新湊に通うようになってもう10年ほど経ちますが、ここのカバーが外されていたのは記憶にありません。どうも横浜の初代日本丸のアフターブリッジ上のコンパスと同じような形に見えます(上画像右、2004年3月30日撮影)。


 フォアブリッジの両脇にある1号救助艇と2号救命艇は整備が終わったのか小綺麗になっていました。半年前には取り外されていた飲料水非常食タンクも元の位置に付けられていましたが、足掛の底板は外されたままで、内部の塗装も外側と同じ色になっています。なお、上の画像に写っているフォアブリッジ左舷側の張り出し部分は訪問日には立入禁止になっていました。

(1983年4月23日撮影)

 ちなみに、初代海王丸/日本丸の救助艇と救命艇の外側の塗装はマストや煙突に塗られているよりも赤みの強いオレンジで塗られています。これは現役当時の映像や写真を見れば一目瞭然ですが、この違いを再現した模型はあまり目にしません。

 次回からしばらく、この救命ボートの製作に掛かります。

1/100海王丸の現状と今後について

2012–05–18 (Fri)
 製作開始から9年が過ぎましたが、依然として船体の製作が終わっていません。半分は止まっていた時間だった感じがありますが、いずれにしても実製作5年近くで完成の目処が立たないのは私個人としては忸怩たる思いがあります。

 現状は船体を再度作り直すかこのまま進めるかを再検討しているところです。9年間の間に実船に関する資料がかなり集まったことと、開始当初は技術的に妥協した部分をクリアしたり難航した部分をより早く製作できるだけのメドが立ってきたためで、フィギュアヘッドやウインドラスなどこれまでに製作した部品はそのまま流用できるため、再度作り直すとしてもここから更に9年は掛からないだろうとは考えています。ただ、先のことはわかりませんので、本当に作り直すかどうかはもうしばらく考えた上で結論を出すつもりです。

 当面のところは船体からは離れて装備品などの製作を先に回すことにします。

空母隼鷹の噴進砲に関する覚え書き(2)

2012–05–11 (Fri)
 大和ミュージアムの隼鷹関連の公開資料の中に「装備要項図」とだけインデックスされている図面が2種類存在します。これは共に12cm28連装噴進砲の要項図で、一つは昭和19年7月26日作図で「29連装噴進砲第一回」と書かれているもの、もう一つは昭和19年9月9日作図で「28連装噴進砲第四回」とあるもので、図面番号は同じ(1043)ですが、製図元は共に頭一文字が呉としか読み取れません。この図面は共に退色が非常に激しいため端末上ではほとんど参照できず、コピーしてかろうじて内容が判別できますが、第四回分は大部分の文章が読み取れません。
航空母艦隼鷹 十二糎二十九聯装噴進砲装備要項図第一回
(昭和19年7月26日製図)より
(本日の画像はクリックすると拡大表示します)
※注 隼鷹のフレームナンバーの付き方は商船式で軍艦とは逆です。すなわち艦尾垂線から艦首垂線に向かって番号が付きます。

 ここでは左舷側のみ示しましたが、第一回の図の内容は福井静夫著「海軍艦艇史3」p338及び「日本海軍全艦艇史」資料編p46で、あ号作戦後の12cm噴進砲装備の項目に於いて実例として挙げられている、艦尾側両舷4基設置とする隼鷹の装備要項とほぼ同じです。項目中にこういう記述があります。

 艦本第1部よりの内報および送付要項図(正式訓令前)には“12cm29連装噴進砲”とあるも、実際に呉廠砲熕部に来着のものは28連装噴進砲であったことは著者、明白な記憶あり。

 すなわち、福井氏の記述の根拠はこの図面で、正式訓令前に届いた要項図かもしくはそれを元に描かれた図ではないかと考えられます。その後何らかの理由で二回・三回と内容が再検討され、写真で確認できる艦首側両舷3基に落ち着いたようです。これらの図面の製図日付が正しければ空母隼鷹は当初艦尾両舷4基で検討されていた事になり、前回述べた加畑氏の「マリアナ沖海戦当時に両舷3基装備」には疑問符が付きます。

 また、この図面には格納状態の110cm探照灯が描かれています。マリアナ沖海戦直前の傾斜試験の写真などから21号電探及び電探室と換装されたと考えられている部分ですが、ここは噴進砲や機銃の装備とは関係がないので、製図の元にした未改訂の資料からそのまま引き継がれた可能性が考えられ、実態を反映していなくても図の趣旨には反していません。

 航空母艦隼鷹 十二糎二十八聯装噴進砲装備要項図第四回
(昭和19年9月9日製図)より

 第四回の内容は噴進砲座に関しては写真で確認できる形状とほぼ同じで、砲座の具体的な寸法も書き込まれています。この要項図はタイトルの第四回の「四」の数字だけが後から書き足されているように見えます。文章で書かれている装備要項は上で述べたように大部分が判読不可です。
写真日本の軍艦第四巻空母Ⅱ
p50及びp52より引用

 ただ終戦後に撮影された写真からは、左舷側の艦尾に4つに仕切られたように見える張り出し(上画像及び学研歴史群像太平洋戦史シリーズNo.64「睦月型駆逐艦」p70)と、第一回の図面の射撃指揮装置用と似た半円状の張り出しが確認できます。張り出しは飛行甲板から下がっているように見えますが、あるいは昭和19年11月の雷撃損傷後に、第一回の要項図に準じた形で左舷艦尾にのみ噴進砲座が設けられたのかもしれません。

 覚え書きは以上です。

空母隼鷹の噴進砲に関する覚え書き(1)

2012–05–04 (Fri)
 大和型戦艦にまつわる話の中に、戦艦武蔵に噴進砲が装備されていたという証言があります。これは特年兵として右舷高角砲に配属されていた塚田義明氏の「戦艦武蔵の最後」(光人社刊)に記載されているもので、マリアナ沖海戦の後に左右両舷に各1基装備されたとあり、噴進砲の具体的な形状や試射の際の印象が詳しく述べられています。しかしながらこれを裏付ける公式資料や写真は一切存在しません。航空戦艦に改造された伊勢型を除く日本戦艦には噴進砲の装備は最後まで無かったとするのが現在の一般的な見方です。本の出版は1994年と体験の50年後でかなり遅いのですが、塚田氏は戦艦武蔵以外に乗艦経験が無いため他と記憶が混濁した可能性は薄く、単に記憶違いで片付けられないものがあります。模型の場合は各自の判断で付ければ良いだけの事ですが、今一つすっきりしません。

 これと似たような話は空母隼鷹にもあります。一般的に航空母艦に噴進砲が装備されたのはマリアナ沖海戦の後とされ、瑞鶴と千歳は比島沖海戦の戦闘詳報からそれが裏付けられます。隼鷹も海戦直前に撮影された傾斜試験の写真に装備が見当たらない事から、他艦と同じく海戦後の装備と考えられていますが、これに反してマリアナ沖海戦の際に既に噴進砲が存在していたという証言があります。

 このロケット砲は「あ号」作戦時、初めて『隼鷹』『飛鷹』に新設され、正式には「一二センチ二八連装噴進砲」と呼ばれ、両舷に三基ずつ備えられた。
(中略)
 昭和十九年六月二十日(中略)最初に駆け込んで来たのは、ロケット砲の松明係りである。その噴射する火炎で顔面を焼かれたらしい。

                     加畑豊著「最前線の医師魂」光人社NF文庫より

 加畑氏は軍医として隼鷹に乗り組みマリアナ沖海戦を体験された方で、噴進砲の試射の印象も詳しく述べられています。そして隼鷹以外の乗艦経験はありません。ただし前述の塚田氏の場合と異なり、加畑氏が隼鷹から転属退艦したのは昭和19年11月18日で噴進砲を装備したと一般的に考えられている時期より後であることから、その間に体験した試射や治療の記憶と混濁されている可能性は充分に考えられます。

 隼鷹には戦闘詳報や戦時日誌などの公式記録がほとんど公開されておらず、武装変遷も残存する写真などから推測するしかないのが現状で、この証言の真偽はよくわかりません。ただ、大和ミュージアムには噴進砲の装備に関する資料が一部存在します。

 以下次回。

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MOMOKO.120%

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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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