短信

2008–06–28 (Sat)
 少々体調不良気味で、しばらく伏せていました。前回の続きはまた次回に。

加える表現、捨てる表現。

2008–06–25 (Wed)
 製作の方は相変わらずです。

 以前のコメントでウインドラスの作り方という話がありましたが、ウインドラスに限らず何かを作る時にはまず大まかな原寸図、この場合は回転ドラムと支持架と蒸気シリンダーの大きさと位置関係を決めてそれに従って部品を切り出し、微調整して大まかな形を作った上で細かいモールドを後から加えてゆくという方法を取る事が多いです。構造と全体形さえ把握できれば、あとは縮尺の範囲でどのモールドを加え、どのモールドを抜いてゆくかということだけになります。

 私が模型を始めた頃は艦船用の専用パーツも装備品の詳細を示した資料もほとんどなく、キットの曖昧不明なモールドを前にこれは何か?と考え込む事が多かったものです。それは現在でもあまり変わってはいませんが、そうすることで、実物の形を模型の表現に組み替えてゆくトレーニングができたのだろうと考えています。今は当時とは比較にならない位資料もエッチングパーツも増え、それはとても有り難いことですが、エッチングや改造パーツの表現を無批判で受け容れてしまい、実物と模型の表現の間を埋めてゆくプロセスが欠けがちになっているのではないかと思うことがあります。

 これは以前にも書いたことがありますが、エッチングパーツはキットにモールドを加える手段の一つであって、原則としてキットの問題点を訂正してくれるものではありません。前回示した1/350の25mm三連装機銃の見本のように、場合によっては綺麗に見えるエッチングであっても捨てて他の方法を探ることすらあります。それをやってゆくためには実物と模型の間を埋めてゆく自分なりの基準を持っていないと、同じキット用に発売されている数種類のエッチングの中からどれが自分の基準に近いのかといった取捨選択もできませんし、エッチングの表現に振り回されて統一感に欠けた内容になりかねないように思います。

 以下続きます。

フジミとタミヤの1/350フィギュアセットについて

2008–06–22 (Sun)
 先月、フジミとタミヤから相次いで1/350艦船用のフィギュアセットが発売になりました。これまでもエッチングでは幾つか製品がありましたが、入数の割に価格が高く、またエッチングの性質上ぺらぺらの板で実感に欠ける面がありました。

 今回発売されたのは、フジミは4ポーズ350体、タミヤは6ポーズ144体がセットされたものです。フジミは彫刻が細かく人体の丸みも感じられるのですが、ポーズが足を揃えた基本立ち姿勢のものだけで、応用範囲はそれほど広くはありません。タミヤは彫刻がほとんどない板状のモールドで、人体というには今一つ実感に欠ける面がありますが、ポーズは足や手を広げたものが多く、いろいろ応用が利きます。

20080622_1

パーツの表現の違い
左がタミヤ、右がフジミ
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 スケールを問わずフィギュアは使い方の難しいアイテムで、艦船本体をある程度作り込んだ上で効果的に用いればより実感を出すことができます。しかしながら、船体や上部構造物のモールドがあまりない状態で「かかし」のように立てても、人がいることのアンバランスさが強調され逆効果になりかねません。しかしながら同じスケールでの「人」を意識し基準に置くことで、船本体の個々のモールドの取捨選択が楽になるメリットがあります。人が登れない機銃座、人が入れない構造物といったキットの矛盾点も人を意識すれば見えてくる場合もあります。

 今回のフジミとタミヤのセットはどちらも一長一短という感じで、用途に応じて使い分けるのが良いのではないかと思います。フジミのフィギュアはモールドには丸みがあって人体を感じさせるものですが、それが故に艦橋内部や防空指揮所といった狭いスペースに集中して置くような使い方は難しいのではないかと考えます。またポーズが立ち姿勢に限定されているため、船体の所々に、あまり集中させずにアクセントとして用いるのが良いかもしれません。

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フジミのフィギュアの使用例
(分散して置く場合)

 タミヤのフィギュアはポーズが手足を広げたものが多く、他のポーズへの変更もそれほど難しくはありません(プラがやや硬めでそのまま曲げようとすると腰の付近で折れがちになるのが残念ですが)。座るポーズを作りたい場合は腰の位置で切って上半身を垂直に接着すれば簡単に再現できます。また薄い板状のモールドなので、防空指揮所や艦橋内部といった狭いスペースに集中して置くこともフジミよりは容易です。しかしながら人体の丸みがほとんどないために、船体の所々にアクセント的に置くような使い方では違和感が強くなるように感じます。集合、整列、配置など、集中して使うことでより効果が見込めるかもしれません。ちなみにフジミとタミヤ両方の混在はモールドが異なることもあり少し難しいかもしれません。

20080622_3
タミヤのフィギュアの使用例
(集中して置く場合)

 今後は恐らくフィギュアをより効果的に用いた作品が出てくるだろうと思います。しかしながら、個々の兵装や装備品、各部署、平時/戦闘時毎の人の配置が実際にどうだったのか示す資料は見聞きした範囲ではあまりないように思います。今後、そのような図解や資料の発売も期待したいものです。

※注:この記事には追加情報があります。→こちら


最後に各セットの情報を貼っておきます。
フジミ1/350日本海軍乗組員フィギュア

タミヤ 1/350 船員セット (144体入) プラモデル(T9887)


追伸
 使用例で用いた25mm三連装機銃はライオンロアの1/350エッチングパーツをベースに、銃身と照準器のみハセガワの装備品パーツから組み合わせたものです。ライオンロアのエッチングは銃身を1本ずつ接着する方式のため不揃いになりがちで、多少銃身が太くてもハセガワのパーツを用いた方がすっきりした仕上がりになるのではないかと思います。またライオンロアのこの機銃パーツは非常に繊細で壊れやすいため、銃座基部の組立は瞬間接着剤よりハンダ付けの方が強度が出ます(0.ミリ範囲のハンダ付けは非常に難しいのですが、マスターできれば真鍮製エッチングの組立は格段に楽になります)。

短信2

2008–06–19 (Thu)
 相変わらずばたばたと忙しいです。
 次はフジミとタミヤから出たフィギュアセットの話をしてみます。

短信

2008–06–16 (Mon)
 まず、かなり以前の記事に最近コメントを頂いていたのに見落としていました。すみません。リプライでも書きましたが、私が当時やったエッチングは主に0.3mm厚真鍮板の両面抜きという、1/350~700ではあまり使わない素材なので、時間はほとんど参考にならないかもしれません。

 艦船関係は新製品のラッシュで、本サイトを始めた頃は新製品の感想で記事が埋まるような事態は夢にも思っていませんでした。個々の内容を見れば1/700の市場がほぼ飽和状態に近いことや、日本国内よりも安い(意志疎通も難しい)海外での金型製作などいろいろ事情は考えられますが、エアフィックス、エレール、レベル、日模、オオタキ、イマイと、過去の歴史を遡っても大型の艦船キットに深く突っ込んだメーカーで体力が続いた例があまりなく、タミヤの1/350ですら10年以上止まっていた時期があった過去を思うと、歓迎よりも先に心配の気持ちが出てしまいます。もちろん70~80年代のキャラクターモデルの狂騒に比べれば微々たるレベルですし、当時と今とでは環境もかなり違いますが、取り越し苦労でないことを望みたいものです。

 それと、個人的には大変ショッキングな出来事で耳を疑ったのですが、東京銀座の伊東屋が今月一杯で木製帆船模型の販売から撤退するそうです。木製帆船の聖地も同然の場所だっただけに、残念な気持ちで一杯です。

雑感:アオシマ1/350日本石炭輸送船日本丸/海王丸(6)

2008–06–13 (Fri)
 最後は参考となる資料など。

 前にも述べたように、初代日本丸/海王丸は関連する書籍は多いのですが、1/350程度の模型作りに役に立つ資料は意外にありません。軍艦模型では当たり前の、実船の外形の変遷や姉妹船同士の詳細な相違点を述べた資料すら私が知る限りでは皆無です。実物は確かに現存してはいますが、それをそのまま大戦中の状態に当てはめられないのは既に述べた通りです。

 大戦中の状態を知るためには、現在よりも竣工時の状態から探ってゆく方がやり易いかもしれません。竣工時から1943年頃までの外観上の変化はヤードを降下し塗装を替えた以外はそれほど大きなものはないようです。

 初代日本丸/海王丸の竣工時のビルダーズモデルは、籾山艦船模型製作所製のものがいずれも現存しています。日本丸は(私は現物はまだ未見ですが)鹿児島大学が所有し、海王丸は東京海洋大学越中島キャンパス内の百周年記念資料館に展示されています。前者の公開状況はわかりませんが、後者は曜日が限られているものの無料で見学できますので、興味のある方は良い参考資料になると思います。

 以下、代表的な書籍をいくつか。

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帆船日本丸と海王丸50年のロマン
中村庸夫写真/千葉宗雄監修/立風書房刊(1978)

 写真集と関連資料、証言集、実習遠洋航海の乗船名簿などから成る本で、この中に竣工当時と考えられる一般配置図と側面図が見開き大判で掲載されており、大戦中の状態を探る上で上のビルダーズモデルと合わせて最も参考になると思います。また日本丸元船長の千葉宗雄氏の解説は世界の近代(練習)帆船史から書き起こした短いながらも良く纏められた非常に判りやすいもので、帆船に興味のある方であれば一読の価値はあると思います。なお、写真は1970年代前半頃と考えられるものが大半です。

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帆船図説 日本丸・海王丸の艤装と航海
橋本進編/海文堂刊(1979)

 日本丸/海王丸の艤装と運用に関して、図版を中心に構成された書籍で、要目表、配置図、船体線図、外板展開図、マスト・ヤード・帆の各詳細仕様、用語集、実習遠洋航海の乗船名簿などから成ります。両船の1/150以上の大型模型を作る上ではこの本が無ければ何も始まらないほど重要な資料ですが、1/350程度の模型の大戦中の仕様とするためには、対価格的にそれほど情報はないかもしれません。

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練習帆船日本丸・海王丸50年史
運輸省航海訓練所監修/成山堂書店刊(1980)

 当時就航50年を記念して刊行された公式記録本で、建造の経緯、航海記録、年毎の入渠工事記録、実習遠洋航海の乗船名簿、関係者の回想録などから成ります。実船の歴史や各時代毎の変遷を追ってゆくためには必要不可欠な資料ですが、図版や写真などがほとんどないため、これも1/350程度の模型の大戦中の仕様とするためには、対価格的にそれほど情報はないかもしれません。

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練習帆船日本丸・海王丸
千葉宗雄著/丸ノ内出版刊(1973)

 両船の記録本としては比較的早い時期に出版されたもので、図面などはありませんが、建造の経緯から戦前戦後の動向が元日本丸船長の実体験も含めて判りやすく詳細に述べられています。上で述べた50年史の一般向け版と位置づけられる本で、模型の製作には直接役に立つ部分はありませんが、大戦中の苦難の歴史も含めて、両船に関心のある方であれば一読の価値はあると思います。



 最後にキットの情報を貼っておきます。

アオシマ1/350石炭輸送船 日本丸

アオシマ1/350石炭輸送船 海王丸

雑感:アオシマ1/350日本石炭輸送船日本丸/海王丸(5)

2008–06–10 (Tue)
 まず、前回までに書き漏らした事ですが、船体の舷側の縁に片舷当たり3ヶ所、半円形のモールドがあります。これはパナマ・フェアリードと呼ばれるもので、この時代には付いていなかったものなので全て取ります。

20080610_1

 帆船模型の「リギング」と軍艦模型の「張り線」は本質的に違うもので、前者は実船同様にロープでマストを支えてゆきます。仮にプラスチックのマストであっても、リギングを理屈通りに行えば力学的なバランスが取れて机から落としてもビクともしなくなります。しかしながら、それを行うには帆船の構造上の基礎知識が必要になりますし、1/350というスケールにも限界がありますから、軍艦模型の張り線の感覚で処理すれば良いと考えます。ただし、マストをロープで支えるのが帆船の大原則ですから、マストから甲板やトップボードに降りてくる張り線にたわみやゆるみがあればおかしい事になります。下部のシュラウドは綺麗なエッチングパーツで処理できますが、上部のシュラウドは用意されていませんし、フォアステイ(前方に支えるロープ)やバックステイ(シュラウド以外に後方に支えるロープ)をゆるみなく張るのは、マストが非常に高いこともあってかなり難しいかもしれません。前回に述べたようにマストの一部には寸法上の問題がありますから、金属パイプなどで全て作り替えてしまって、マスト自体に強度を持たせた上で張り線を行うのも一つの方法だろうと思います。

 また、帆船の帆やヤードを操作する動索を止めるピンレール(No.3~10、70)には突起状のモールドがあります。これは動索を止めるピレイピンを表現したもので、抜き差しによって固定したり外したりすることができました。戦後の引き揚げ船時代の写真には一部見えることから、帆装撤去後も何割かは残っていたものと思われます。しかしながら、表現がオーバースケールで実感を損ねるため、この突起は全て削り落とした方がすっきりするかもしれません。

 エッチングパーツは各マストの下部のシュラウド、バウスプリット回りのステイ+ネットが一体化したもの、手すりに加えて帆船のヤードのフットロープ(作業用の足場)が入っています。ステンレス製の綺麗なエッチングで直進性もありますが、マスト上部のシュラウドがなく全体的に中途半端な印象があります。フットロープを入れた理由が帆船バージョンへの流用を考慮に入れていたのかどうかはわかりませんが、軍艦模型でもヤードのフットロープは再現の対象にはならない事の方が多いようですから、帆船に流用するとしてもフットロープは入れないで、マスト上部のシュラウドを代わりに入れてくれた方が良かったと考えます。

 塗装は船体が軍艦色、喫水線から下が艦底色、甲板がタン、煙突上部が黒の軍艦の標準塗装になります。軍艦色がマストまで及ぶのかどうかは資料がありませんが、成山堂書店の「帆船日本丸海王丸五十年史」で元海王丸船長の横田利雄氏の回想録の中に、ヤードを降下したら白色はマストの先端部分だけになって目立つため、黒3:白7のネズミ色で塗るように申し合わせたというくだりがあるため、マストは戦前と同じオレンジイエローで、先端のみダークグレイのような色だった可能性はあります。また、船底のプロペラシャフトは戦後の入渠中の写真では船底色と同じに塗られているため、大戦中もそのように塗られていた可能性があります(スクリュープロペラは真鍮色です)。

20080610_2
練習船日本丸/海王丸1943年当時の状態
塗装まではできませんが、主な修正部分はわかると思います。
なお、前から2番目のメインマストの途中で延長したように見える部分がありますが、
これは私の勘違いで一旦短縮したもので、ここには手を入れる必要はありません。

 これで一通りキットに関して知っている事を述べました。問題は元々のイマイの認識不足から来ているものもありますが、1975年設定の船を塗装だけ替えて30年前の状態として売るのはさすがに無理があります。これは資料的にやむを得ない部分が多々ありますが、それでも出すのであればもう少し何とかならなかったかというのが率直な気持ちです。

※注:この記事には追加情報があります。→こちら


 あと1回続きます。

雑感:アオシマ1/350日本石炭輸送船日本丸/海王丸(4)

2008–06–07 (Sat)
 縮尺の話を忘れていました。このキットは垂線間長/全長共に実船の要目から割り出した数値から共に約4mmほど足りません(初代日本丸/海王丸の図面上の船首垂線(F.P)の位置は、喫水線での船首先端ではなくベルマウスとフィギュアヘッドの間付近にあります)。実寸1/356で誤差マイナス1.75%ということになります。イマイを擁護する訳ではありませんが、70年代に出た艦船キットで2%程度の誤差は特に珍しくなかったのが実情で、個人的には許容範囲内と見ています。

 ただし、元イマイ/アオシマの帆船仕様の船体はロットによって0.5~1mm程度のズレがあるようです(この点に関しては後述します)。よって、これ以降は実寸1/356という前提での話になります。

 フォアマスト(No.57)はまず前方に突き出しているレーダーのモールドと頂部にある円形のモールド(方位測定アンテナ)を取ります。いずれも戦後に装備されたもので、この時代には無かったものです。

 後ろ3本のマストは実船写真や公表されている数値と比較すると全体のバランスにやや問題があります。まずメインマスト(No.56)はトップボード(No.69)が付く部分の下を4mm、上を1mmそれぞれ詰め、マストの先端を3.5mm伸ばします。

 次にミズンマスト(No.55)はメインと同じくトップボードの下と上を4mmと1mm詰め、マストの先端を3mm伸ばします。

 最も船尾側のジガーマスト(No.54)は先端を2mm詰めます。ジガーマストのトップボード(No.52)に3本の張り出しがありますが、これらは戦後に設けられた電波航行用のアンテナの架台で、この時代には無かったので全て削り落とします。

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マストなどの修正

 説明書ではヤードは全て未使用となっていますが、実際は最も上のロイヤルヤード(No.67)を各マストの基部背面に固定していました。ただし、マスト背面の中心線には後ろのマストを支えるフォアステイが固定されるため、中心線よりもやや左舷側にオフセットして、半円状にへこんでいるマストの取り付け金具を右舷側に向けて取り付けます。

 またこの時代にはフォアマストの背面とメインマストの前面にデリックがあったのでプラ材か真鍮線で付けます。フォアマストの背面のものは中心線よりやや右舷側にオフセットして取り付けます。いずれも戦後に撤去されましたが、取り付け部分だけは現在の保存船にも残存しています。

 船尾の旗竿(No.26)はジガーマストのスパンカー・ブーム(No.49)と干渉するため、取り付け穴を埋めて2.5mm後方に開け直して付けます。

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ロイヤルヤードは前3本のマストの基部に付けます。

 このキットは元々ウォーターラインモデルとして発売されたもので、現在のキットには船底板が付いていませんが、0.5mm程度のプラ板を底に貼って船尾にNo.90の代わりにNo.44を付ければ簡単にウォーターラインモデルになります。

 フルハルモデルとして作る場合は幾つか問題があります。イマイ/アオシマの1/350日本丸/海王丸の船体パーツはロットによって実寸に多少の差があるようで、私が持っているストック分だけでも、イマイの初期のものとアオシマの再版分とでは約1mm前者の方が長く、またイマイの中でも初期の洋上模型版と後のフルハル版では0.5mm程度ズレています。船底パーツの実寸は短い方に合っているので、上下を組み合わせるとズレが生じる場合があります。

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上:イマイ版洋上模型Verの船体
下:アオシマ版フルハルVer再版分の船体

 そしてこの石炭輸送船バージョンは、私が購入したものは船体が船底よりも1mm程度長く、船底は中心線で一旦二つに割った上で中央部にプラ板を詰めて合わせることになります。これに限らず古い艦船キットでは甲板や船体が合わないという事はままありますが、その場合はこのように中心で割って長い場合はそこを詰め、短い場合は両端を揃えて空いた中央部分を埋めて合わせるのが基本的な対処法です。この際にプラ板で埋めた部分の裏側にエポキシパテを詰めておけば強度的にはまず大丈夫です。これはロットによって違いがある可能性があるので、作られる方はまず船体と船底を合わせて確認することをお勧めします。

 また、ビルジキール(No.95)も短すぎるので、中央で割ってプラ材などで44mm延ばします。

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船底部品の修正。


 以下、次の項にて。

雑感:アオシマ1/350日本石炭輸送船日本丸/海王丸(3)

2008–06–04 (Wed)
 フォアブリッジ以外の修正点をまとめておきます。

 まず、舷側の舷窓のパターンは左舷のもので、右舷は数やパターンが若干異なります。今回は特に触れませんが、こだわる人は竣工時の一般配置図などを参考に埋めて開け直すと良いと思います。また、この時代は中甲板レベルに片舷当たり3ヶ所に物資搬入用のハッチがあったので、プラ板などで追加します。

 舷側には舷窓とは別に、0.5mm程度の凹穴が片舷当たり3ヶ所にあります。これはヤードを操作するロープを甲板に引き込むための滑車が付いた、パンプキンと呼ばれる棒状の装備品を付けるためのものと思われます。パンプキンそのものは元々の部品にありませんが、戦後の引き揚げ船当時の写真を見る限り、帆装の撤去に伴い取り外されていたように見えるので、この穴は埋めておきます。それと、フォアブリッジの右舷側には係船桁があったので、プラ棒などで追加します。

 次に船首先端のフェアリードが省略されているのでプラ材などで追加します。船首楼甲板にはこの時代は小型の吸気口が1本あったので、他から調達して付けます。

 船首楼に接して立っている吸気口は、右舷側はこの時代は2本なので取り付け穴を埋めた上で2本分開けて、No.63を2本立てます。また、左舷側は吸気口とラッタルの位置関係が逆なので、穴を開け直した上で入れ替えます。なお、この吸気口もキセル型なのでNo.63を付けます(No.63は計2本不足します)。

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1943年当時の船首付近

 ウェルデッキ(上甲板露天部、船首側の一段凹んで見える甲板)の内部は、まずブルワークに接して付いているファイフレールが省略されているので0.3mmプラ板を切って貼ります。ただし、左舷側は舷門(ブルワーク外側の扉状のモールド)の位置だけ切れているので、この部分は開けておきます。また、舷門のモールドは右舷側の外側にもありますが、戦後に追加されたものでこの時代には無かったので削り落とします。船首楼甲板寄りの2個のボラードも省略されているので、これもプラ材などから作って付けます。

 なお、右舷のファイフレールは本来は船首楼まで届いていますが、以前に1/100の製作記で述べた船体型の問題をこのキットも踏襲しているためにその分のスペースがありません。そのため、吸気口の手前で切るしかないようです。

 内側の船室は天井に接する部分に段差がありますが、ここは凹んだ部分に0.5mmプラ板を貼って面一にしておきます。この船室や後部の壁面には舷窓やハッチなどがあるので追加します(ただし、完成後はほとんど見えなくなります)。それと、船室と2番倉口の間の4本のキセル型吸気口が省略されているので追加します。

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ウェルデッキ周辺。左舷側から見た画像はこちらを。

 船体中央部、実習生出入口(No.15,16,19,20)の天蓋に付く吸気口は、竣工時はカマボコ型でしたが、戦後の引き揚げ船の写真ではキセル型に換装されています。見本ではキセル型としましたが、大戦中はカマボコ型だった可能性もあります。その場合はNo.41を、天蓋から1mm程度出るように切り詰めた上で接着します。

 キットの煙突は1975年秋以降の、背面に焼却炉室が増設された状態を示しています。大戦中の状態にするためには、煙突背面の部品(No.84)は使用せず、プラ材などで前面と同じような形を作って付けると共に、頂部の部品(No.79)との境目の位置に0.4mm程度のプラ材を巻いてパテでねばりを付けて整形し、前方の大型吸気口(No.86)に寄せる形で船体に取り付けます。そして、タンクの部品(No.75,76)のモールドのない側を約1mm程度削った上で、煙突と天窓の間に取り付けます。また、右舷側大型吸気口の直前のキセル型吸気口はこの時代には2本あったため、取り付け穴の左舷側に穴を開けてNo.64をもう1本立てます。

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 アフターブリッジ(No.34-37)は、1943年の状態とするならば、天蓋の吸気口をキセル型のものと取り替え、後部にコンパスと天蓋に登るラッタルを付ける以外は、このままで大丈夫です。ただし、船首側の扉は後方のものと同じ木製扉だった可能性があります。また、この船尾側の区画は無線室ですが、そのレイアウトは竣工時と戦後では異なり、竣工時の一般配置図では右舷の船尾側に木製扉がもう一枚描かれています。そのため、大戦中も扉があった可能性はあります。また、この時代は船尾舵輪前の2個のコンパスの左舷側の脇にエンジンテレグラフが装備されていたので、プラ材などから作って追加します。

 右舷船尾側の5番救命艇用ダビッドの脇に、舷梯操作用の小型ダビッドがあります。これは部品にないので他から調達or自作する必要があります。竣工時は2本ありましたが、少なくとも1950年代までに船首側の1本は撤去されました。その時期が良く判らないため見本では2本付けましたが、船首側のものは無かった可能性もあります。

 実船では船尾側の4隻の救命艇には架台がありません。いずれもダビッドに吊された状態が収納位置で、最も船尾側の2隻は緊急時に対応できるよう外舷側に回していました。しかしながら、このキットは構造上それができないので、架台を削って直置きするか、間違いを承知で架台の上に乗せるしかありません(最も船尾側の2隻は架台を削るとボラードが干渉します)。

20080604_4

 この時代の船内への通風装置は全て自然通風だったようで、甲板上にはキセル型吸気口が林立する形になり、部品が全く足りませんが、これは他から流用か複製か自作しかありません。ちなみにこれらのキセル型吸気口は戦後は一部が機械式のベンチレーターに取り替えられたほか、海王丸では70年代後半以降、その多くが撤去されることになります。

 以下、次の項にて。

雑感:アオシマ1/350 日本石炭輸送船日本丸/海王丸(2)

2008–06–01 (Sun)
 前回も書きましたが、海王丸は煙突周辺の大型吸気口の形状が戦前と戦後で異なるため、大戦中の状態にするためには両船共に日本丸が製作のベースになります(部品番号は全て日本丸のものです)。

 初代日本丸/海王丸の大戦中の外観変化はフォア・アフターブリッジの形状の違いで大きく二つに分けられます。建造当初はいずれも天蓋のないオープンなブリッジでしたが、商船の大量喪失に伴い実習生が急増した事に対応して、1944年にフォアブリッジは一部拡張の上、天蓋と見張り台が設けられ、アフターブリッジ上にも操舵室が設けられました。アフターブリッジの操舵室は1950年代前半までには撤去されたものと思われ、またフォアブリッジも1957~58年に掛けて縮小されて現在の形になりました。キットは現在の形のままなので、大戦中の設定とするためには修正が必要です。

 最も修正が容易なのは1943年2月に帆装を撤去した後の状態で、フォアブリッジ側面の部品(No.80,81)を下部船室の高さで切り離し、上端の縁に後部と同じモールを付けて接着し、張り出しの部品(No.83)を前方に付けて甲板上を面一にして各種航海機器とラッタルを付ければそれらしくなります。ブリッジは甲板と一体化したブロックの周囲に側面の部品を、下側の凸モールドに合わせて接着するようになっていますが、古いキットで「たてつけ」があまり良くない上に、下側の凸モールドとの整形も大変なので、ブロック下側の凸部分は甲板面まで削り落としてしまい、側面の部品(No.17,18,80,81)の下側に1mm角棒を貼って整形した上で貼り付けると楽に作業ができると思います。

20080601_1

 なお、厳密に言えば前面の側壁(No.17)の角窓は3枚、側面の部品の船尾側の扉は水密戸ではなく前二つと同じガラス付きの木製扉になります。また、ブリッジに接する形で下のウェルデッキに通じる開口部とラッタルがあるので、No.14の甲板の一部を切り取ってプラ板やエッチング等でラッタルを付けると良くなります(位置は艦尾から船首方向に向かって降りる形になります)。

 ちなみに1944年以降の状態とするためには、フォアブリッジを拡張した上で天蓋や見張り台を加え、またアフターブリッジ上にもハウスを一段増設する必要があります(これに関しては大体の形は判るのですが、不明点も幾つかありますので図示しません)。更に終戦直前の7月には船首楼の海水タンクの上に25mm単装機銃台が設置されています(実際に機銃が装備されたかどうかは不明)。正確な形状はわかりませんが、戦後に引き揚げ船として活動した当時の写真を見る限り、タンクよりやや大きい程度の角形だったものと思われます。

20080601_2
1943年帆装撤去当時のブリッジ周辺。
モーターボートと伝馬船の装備位置は逆だった可能性もあります。

 フォアブリッジ右舷側の1番救命艇用の重力式ボートダビッド(No.30,31)は1975年秋の入渠工事で装備されたもので、戦中は他と同じラジアル型のダビッド(No.62)が使われていました。これは1個足りないので自作するか他から調達する必要があります。また、この部分の甲板の木目モールドが切れていますが、ダビッド接着用の穴を埋めて区切られている凸モールドも削り落とします。それと、この救命艇には架台がなく、ボートダビッドに吊された形が収納状態ですが、キットは構造上それができないので、甲板上に直置きして区別すれば良いと思います。

20080601_3
部品No.18の中央付近の四角状の凸モールドは
消火ホースの収納箱を意味していますが
この時代にはこの位置にはなかったと思われます。

 また、救命艇はキットの指示の他に7.5m(25尺)のモーターボートと6.4m(21尺)の伝馬船がありました。これらは竣工時から少なくとも1950年代頃までは標準装備とされていたもので、恐らく戦時中も搭載していたのではないかと考えます。モーターボートは救命艇の曳航用に用いられたもので、正確な形状はわかりませんが、籾山艦船模型製作所製の竣工時の展示模型を見る限り、恐らく海軍の7.5m内火艇の操縦席の風防がないような形ではなかったかと推測します。これは現状ではハセガワの駆逐艦陽炎/雪風のものを複製か流用か、あるいはそれを手本に自作するしかありません。伝馬船はハセガワの艦載艇装備品セットの6m通船を持ってくることができます。どちらも架台付きで甲板上に置きます。

 それと説明書の過程4で、2番倉口の直後にタンク(No.75+76)を設置するように指示されていますが、この時代は荷役用のウインチが装備されていました。これは流用できる部品が他に全くないため、(少し形状が違うようですが)ウェルデッキ上の1番倉口の前にある、カバーが掛けられた状態のモールドと同じものを、プラ材などから切り出して付ければ良いと思います(上の見本では海王丸のNo.81の部品を付けています)。

20080601_4
ブリッジ正面の角窓は3枚です。


 以降、次の項にて

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プロフィール

MOMOKO.120%

Author:MOMOKO.120%
職業:自営業見習い
趣味:ブログの通り
模型の守備範囲:船
Webページ:模型の缶詰

現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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