続・旧海軍艦艇の推進軸の「色」について。

2018–01–21 (Sun)
 これは隼鷹の船体塗装まで進んだときに触れるつもりでしたが、先日Twitterで推進軸の色が話題になったのでその関連で触れることにします。



 以前、旧海軍艦艇の推進軸の「色」について。という記事を書きました。その後、防研史料閲覧室の技術関係を見ているうちに、こんな資料に当たりました。

「入渠艦船乾水後ニ於ケル船底塗料成績調査 昭和十四年度
 昭和十五年七月 呉海軍工廠 造船實驗部」

(防衛研究所史料閲覧室登録番号(6)技術-研究資料-376)

 これは昭和14年から15年に掛けて入渠した艦艇の船底塗装の報告のうち、成績不良に属するものを抜粋してまとめた一覧表です。原書房の昭和造船史1巻p165によれば昭和11年より艦政本部主催で船底塗料の基礎的研究が行われたとあるので、この資料もその一環として作成されたもののようです。
 ここに記載されている艦は以下の通り。

戦艦 山城 扶桑 日向
巡洋艦 摩耶 愛宕 鈴谷 神通 熊野 足柄 夕張 三隈 熊野 神通
駆逐艦 神風 朝顔 峯雲 芙蓉 峯雲 天霧 朝霧 長月 夕霧 水無月 白雪
潜水艦 伊1 伊2 伊3 伊51 伊8 伊75(175)
特務艦 佐多 室戸
敷設艦 勝力 沖島
潜水母艦 長鯨
特務艇 駒橋
雑船 (略)

 艦名に重複があるのは対象期間中に二度入渠し各々の成績が記載されているという意味です。一例として山城の内容を列記します。

・艦名
 山城
・前回入渠 前回出渠
 13-11-2
・今回入渠 今回出渠
 15-1-12
 15-2-10
・経過日数
 437日
・航海日数
 76日
・行動概略
 伊勢、ウルシイ、伊東、岸和田、洲本、佐伯
・使用塗料名
 高田 一号 一回 二号 一回
 (塗分線下2米間)
 ホットヴェネチアン 一号 一回 二号 一回
・一号塗料成績
 塗分線下約1米間剥落約30%該部厚錆ヲ生ジ以下剥落僅少ナリ
 塗分線下3米間両舷共中央部ニ僅カニ発錆セル所アリ
・二号塗料成績
 水際以下2米間剥落約30%
 青サ富士壺ノ大ナルモノ「むらさき貝」「ゑぼし貝」等約90%
 以下「まくらほや」総苔虫長髭苔虫等全面ニ約90%
・今回塗料要領
 高田ホット 一号 二回 二号 一回及増塗
・推進軸
 前回塗装 ホットヴェネチアン  一号 一回 二号 一回
 成績 一、二号共剥落僅少ナリ該部発錆ス
     「まくらほや」長髭苔虫等全面ニ寄着ス約80%
 今回塗装 ホットヴェネチアン  一号 三回 二号 一回
・成績調査所
 横廠

 ホットヴェネチアン(ホットベネジアン)とは東亜ペイントが製造した、湯せんで温めて塗る厚膜タイプの船底塗料です。このように塗装要領と入渠後の状況が詳しく書かれているものです。

 そしてこの資料では空欄や不明となっている特務艦佐多・室戸及び雑船を除き、上記の艦船の推進軸は全て塗装処理とされています。以前の記事で挙げた海軍制度沿革の艦艇推進軸防触法の内容と合わせると、昭和15年の時点で艦船の推進軸の防蝕法は船底塗料による塗装、すなわち艦底色が一般的だったのではないかと考えます。

 ただし、(私自身は未確認ですが)明治ゴム製造所の社史には大正9年竣工の呂1・昭和元年竣工の伊1以降、全ての推進軸のゴム巻きを担当した旨が記載されているそうなので、潜水艦に関しては当初はゴム巻きを採用し途中で防蝕方針が変更になったのかもしれません。

 あと以前の記事でも書いた事ですが、事実としても推進軸が艦底色の模型は見栄えがしません。規定は知識として、より模型映えする金や銀系の色など推進軸は各人の好みで処理して良いのではないかと考えます。

 この項目は以上です。

夕雲型駆逐艦に関する幾つかの覚え書き。

2017–11–26 (Sun)
 唐突ですみません。ブログ外で話題になった事なので少し触れます。



 大半が戦争中の竣工だった夕雲型駆逐艦は、残存する写真が少ない上に細部の仕様も艦毎に相違が見られるため、よくわからない部分が少なくありません。いつか1/350で作れればとたまに少し調べることもありますが、探れば探るほど迷路に嵌まり込む感じがあります。

 夕雲型は昭和18年の末頃から第一煙突の背後に機銃台を増設して25mm三連装機銃を設置しましたが、残存する朝霜、清霜の写真とマニラ湾で大破放棄された沖波の映像を見る限りでは機銃台周辺の仕様がいずれも異なっています。また清霜の写真や沖波の映像には、第一煙突背後の機銃台から艦首側のスキットビームに向かう構造物が写っています。
左:朝霜(昭和18年11月)、右:清霜(19年5月)のそれぞれ機銃台周辺
ダイヤモンド社刊「日本海軍艦艇写真集 駆逐艦」p113,115より
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 大和ミュージアムの公開資料の中に早霜の公式図(完成図)がありますが、

駆逐艦早霜上甲板平面図より

 この上甲板平面図で描かれている機銃台からスキットビームに向かう片舷当たり二本の細い通路状の構造物が、側面図にはありますが上部平面には描かれていません。側面上部平面図は欄外に機銃台増設に伴い調整した旨の記述があり、公試の写真にはそれは写っていないので、後で図面に加えた際に描き漏らしたのかもしれません。

 この早霜の通路状の構造物は清霜に近く、沖波とは側面形状や取り付け位置が異なっています。機銃台の支柱は早霜の側面図には清霜と同じく穴のない柱が描かれていますが、沖波には丸穴が開いています。また機銃台の平面型も舷側方向の幅が清霜や沖波より小さく描かれています。同じ舞鶴工廠でわずか2ヶ月前に竣工した沖波と異なる点には疑問がありますが、図面の信憑性を確かめるすべはありません。

 なお早霜の上部平面図には、上画像の左右両舷の青矢印の位置に垂直梯子(H)が描かれています。



 この機銃台増設の訓令は以下のものだったと考えられます。

発(昭和19年01月)16日 [海軍]大臣
受20日 各鎮長官
官房艦機密第一七九號
夕雲型駆逐艦ニ機銃增<増>備ノ件訓令

昭和19年1月1日~昭和19年1月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌
アジア歴史資料センター Ref.C08030359900 p35 より

 この訓令は既成艦船工事記録にも記載があり、風雲、長波、玉波、早波、浜波、藤波、沖波、岸波、朝霜の対象艦と、増備後の状況として、
このような記号が描かれています。すなわち第一煙突背後の機銃増設を指しているようです。ただし、昭和18年11月の竣工当時とされる朝霜の写真には当該の機銃台が写っているので、正式訓令前から通達が成された可能性もあります。



 機銃台の他で補足を少し。

学研「陽炎型駆逐艦」p33より

 マニラ湾で大破放棄された沖波の映像や写真には、艦橋天蓋前面に斜めに突き出したアンテナ状のものが写っています。早霜の図面では名称は書かれていませんが、前檣からの空中線がここに来ていて、一番砲塔の支柱は描かれていません。そのため、これは空中線展開用のブームのようです。

 この項目はこれで終わりです。

隼鷹型航空母艦に関する覚え書き(9)

2017–10–21 (Sat)
 大和ミュージアムの公開資料の中に航空母艦祥鳳の固定式と移動式の滑走制止装置の装備図があります。装置の概要は理解していたつもりでしたが、移動式は設置が任意で格納が公式図に描かれた位置だろうと考えていました。

 しかしながら手元にある航空母艦の写真からは、図面で示された位置に移動式の制止索や支柱が写っているものがありません。隼鷹も同様ですが、この点が少し引っ掛かっていたので、改めて詳しく見てきました。

軍艦剣崎(航空母艦祥鳳)
第三滑走制止装置(移動式)装備図より右舷側周辺の状況
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 滑走制止索は固定式も移動式も制止索-起倒式支柱-導滑車-制動筒がワイヤーで結ばれている構造ですが、移動式は格納筐が作業員控所の中にあり、不要の時はそこに収納されていた事を示しています。つまりその意味での「移動式」であり、写真で飛行甲板上に制止索や支柱が写っていなくても未装備の証明にはならない事に気が付きました。判断すべきは支柱の取付基部やワイヤーの導滑車(及びフラット)、制動装置の有無です。

左右共に
上:昭和造船史別冊艦艇図面集収録の公式図より
下:写真日本の軍艦第四巻より
なお、右下艦橋前の筒状の装備品は固定式装置の制動筒です。

 隼鷹はマリアナ沖海戦の前後に撮影された写真で飛行甲板前端の第一索の導滑車用フラットや中央部の第四索の制動筒が見当たらない事から、移動式滑走制止装置はこの頃には全て撤去されていたと考えられます(キットの甲板部品D5の張り出しは削る必要があります)。しかしながら南太平洋海戦当時は明瞭にわかる写真や映像がないので装置の有無は確認できません。



 空母翔鶴の南太平洋海戦の前後の写真で、海軍艦艇史等に掲載されている飛行甲板比較図で示されている移動式滑走制止装置の付近を見てみると、

写真日本の軍艦第三巻より

 海戦の損傷写真で中央エレベーター前の左舷側に支柱の取付金具らしきものと制動筒が写っています。

海軍艦艇史第三巻より

 また修理後の写真では右舷側の制動筒が写っています。従って翔鶴中央部の移動式滑走制止装置は少なくとも南太平洋海戦の直後までは設置されていた事がわかります。

写真日本の軍艦第三巻より

 艦首側の装置の取付金具や制動筒は翔鶴も瑞鶴も確認できません。ただ、瑞鶴の写真には飛行甲板の側面に滑車の付いた張り出しらしきものが見えます。導滑車用の装置のようにも見えますが確証はありません。



 これらのことから、南太平洋海戦時の隼鷹は中央部の移動式滑走制止装置は装備有、艦首部は判断がつきませんが一応公式図に従う事として、支柱や制止索は付けずに基部と導滑車、制動筒をそれぞれ作る事にします。

 この項目は以上です。

昭和十八年八月防空兵装略図について。

2017–07–29 (Sat)
 このブログでも度々紹介していますところの、桜と錨の海軍砲術学校のサイトに於いて「昭和十八年八月防空兵装略図」という史料が公開されました。詳細はリンク先に書かれていますが、横須賀海軍砲術学校の戦術科が教務用に作成したものということで、巡洋艦と航空母艦の主砲・高角砲・機銃及び指揮装置の装備状況を略図で示しています。

 図には昭和18年8月と書かれているだけで、それまでに戦没した艦も含めて個々の艦艇の調査時期は示されていません。加えて軽巡矢矧及び空母1004番艦(神鷹)~110号艦(信濃)の、当時建造中または計画されていた艦があるほか、軽巡北上と大井は同時期に計画された高速輸送艦の兵装(12.7cm連装高角砲×2、25mm三連装機銃×10)のようです。

 内容に若干疑問もあり、北上と大井の改装プランの情報が混じっているため、何の資料でも同じですが本当に昭和18年8月(またはそれ以前)の状態を示しているかどうかは個別に他の資料とも突き合わせて考える必要があります。しかしながら当時の認識を示した史料である事に変わりはなく、とても貴重なものです。



 この図では空母隼鷹と飛鷹は共に艦首の増設機銃座は設置済とされています。飛鷹は既成艦船工事記録の内容から昭和18年6月の雷撃損傷の際に艦首に機銃座を設置した可能性が高いと考えていますが、隼鷹は時期がはっきりしません。行動記録には18年7月26日から31日迄の間に呉海軍工廠に入渠と記載はされていますが、日程的に設置が可能だったかどうかは微妙なところです。これは「南太平洋海戦当時の隼鷹」の題からは外れることなので、完成後のまとめでまた詳しく述べることにします。



 他に目を引いた点として、1年前に戦没した空母龍驤の兵装が示されています。龍驤については以前にも書きましたが、昭和11年の第二次改装後の状態のまま戦没したとする考え方が一般的で、現在発売されているソロモン海戦時の組立キットも同様です。しかしながら大戦中の空母で13mm機銃を装備していた艦は他になく、ミッドウェー後のありとあらゆる艦船に空母改造計画が建てられた昭和17年の夏に、機銃増設も換装も無しで最前線に送り出す事がはたして有り得たのだろうか?という疑問がありました。

 この図では艦首と艦尾に三連装機銃が4基、両舷側に連装機銃が6基描かれています。機銃の種別までは示されていませんが、他の空母と同様に25mm機銃とすれば計24門で、17年秋竣工の龍鳳の30門よりは少ないものの、同時期の大鷹型の三連装・連装各4基計20門よりは多い数字になります。

(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 図を艦型図の既設の機銃座にあてはめるとこのようになりますが、太平洋戦争中の龍驤は兵装に関する資料が他には無く、この画像も現状では可能性の一つでしかありません。また沈没直前の姿を捉えた米軍撮影の写真にも艦尾に銃座らしきものは見当たりません。「時期不明」としたのは戦没で(完全に)実現しなかった整備計画の可能性も含めての意味です。しかしながらソロモン戦当時の多くの空母が艦首や艦尾に機銃を増設していた事を考えれば全く実現しなかった計画図とも思えません。少なくとも「第二次改装後のまま戦没」よりははるかに信憑性があるのではないかと考えます。

 この項目は以上です。

隼鷹型航空母艦に関する覚え書き(8)補足

2017–04–24 (Mon)
 以下は「南太平洋海戦時の隼鷹」の主題から外れる事なので補足として。



 隼鷹が太平洋戦争中に増設した機銃のうち、昭和18年11月から19年3月の雷撃損傷修理の際に設置された艦首の25mm三連装機銃4基について、マリアナ沖海戦の後に噴進砲が装備された際に単装機銃と取り替えられたとする解釈があり、先日発売されたモデルアート艦船模型スペシャルNo.63隼鷹飛鷹p86-87にもそう書かれています。しかしながら、老猿さんのブログ「海に憧れる山猿」に於いて違うのではないかと指摘されており、私も機銃換装の事実は無いと考えています。

 大和ミュージアムの公開資料の中に昭和19年12月の雷撃損傷の際に佐世保工廠が作成した損傷状況の見取図があり、この図には艦首機銃座を指して二十五粍三聯装機銃とはっきり書かれています。恐らく換装説は雷撃後の損傷写真で右舷の三連装機銃の台座に銃身が一本しか見えない防弾板付きの機銃が写っている所から来ているのではないかと思いますが、防弾板が三連装機銃のものである事と、銃座形状の違いなどから何らかの理由で銃身を二本取り外した機銃ではないかと見ています。

 なおこの写真は右舷艦首機銃座のブルワーク前端が上方に吹き飛ばされた姿が印象的ですが、上記の損傷見取図によればこれは雷撃によるものではなく、3日前の12月6日に荒天下の激浪で受けた被害ということです。当日の気象は波高8m、風速17m、右舷30度の方向から30mの突風が吹き付ける状況で、艦首左右の機銃座の損傷に加え飛行甲板の前端が上方に折れ曲がり、更に雷撃の衝撃で折れ曲がった前端が落下圧潰したとあり、そのためか修理後の艦首機銃座は基部が支柱とサポート部が一体化した形状に変わっているほか、飛行甲板前端の支柱の本数も増やされています。



 前回の記事でミッドウェー後の航空母艦の艤装方針の変更点として艦首尾方向の砲力の増加という事を書きました。実際それ以降に竣工したり改装を受けた空母は艦首と艦尾に機銃や噴進砲を増設していった艦がほとんどですが、唯一例外が存在します。昭和19年3月に竣工した大鳳で、残存する資料では艦首部に機銃座が全くありません。

 ハリケーンバウを採用した関係で艦首前端に機銃座が設置できないのは判りますが、同時期に機銃を増設した隼鷹のように両舷に銃座を設ける事は可能だったようにも思えます。しかしながら残存する航空写真からは艦首部に銃座らしきものは見当たりません。艦首方向からの攻撃に対してこれで良しと見ていたのかどうか、よくよく考えると引っ掛かる点ではあります。

 この項目はこれで終わりです。

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MOMOKO.120%

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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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