飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(8)補足

2017–04–24 (Mon)
 以下は「南太平洋海戦時の隼鷹」の主題から外れる事なので補足として。



 隼鷹が太平洋戦争中に増設した機銃のうち、昭和18年11月から19年3月の雷撃損傷修理の際に設置された艦首の25mm三連装機銃4基について、マリアナ沖海戦の後に噴進砲が装備された際に単装機銃と取り替えられたとする解釈があり、先日発売されたモデルアート艦船模型スペシャルNo.63隼鷹飛鷹p86-87にもそう書かれています。しかしながら、老猿さんのブログ「海に憧れる山猿」に於いて違うのではないかと指摘されており、私も機銃換装の事実は無いと考えています。

 大和ミュージアムの公開資料の中に昭和19年12月の雷撃損傷の際に佐世保工廠が作成した損傷状況の見取図があり、この図には艦首機銃座を指して二十五粍三聯装機銃とはっきり書かれています。恐らく換装説は雷撃後の損傷写真で右舷の三連装機銃の台座に銃身が一本しか見えない防弾板付きの機銃が写っている所から来ているのではないかと思いますが、防弾板が三連装機銃のものである事と、銃座形状の違いなどから何らかの理由で銃身を二本取り外した機銃ではないかと見ています。

 なおこの写真は右舷艦首機銃座のブルワーク前端が上方に吹き飛ばされた姿が印象的ですが、上記の損傷見取図によればこれは雷撃によるものではなく、3日前の12月6日に荒天下の激浪で受けた被害ということです。当日の気象は波高8m、風速17m、右舷30度の方向から30mの突風が吹き付ける状況で、艦首左右の機銃座の損傷に加え飛行甲板の前端が上方に折れ曲がり、更に雷撃の衝撃で折れ曲がった前端が落下圧潰したとあり、そのためか修理後の艦首機銃座は基部が支柱とサポート部が一体化した形状に変わっているほか、飛行甲板前端の支柱の本数も増やされています。



 前回の記事でミッドウェー後の航空母艦の艤装方針の変更点として艦首尾方向の砲力の増加という事を書きました。実際それ以降に竣工したり改装を受けた空母は艦首と艦尾に機銃や噴進砲を増設していった艦がほとんどですが、唯一例外が存在します。昭和19年3月に竣工した大鳳で、残存する資料では艦首部に機銃座が全くありません。

 ハリケーンバウを採用した関係で艦首前端に機銃座が設置できないのは判りますが、同時期に機銃を増設した隼鷹のように両舷に銃座を設ける事は可能だったようにも思えます。しかしながら残存する航空写真からは艦首部に銃座らしきものは見当たりません。艦首方向からの攻撃に対してこれで良しと見ていたのかどうか、よくよく考えると引っ掛かる点ではあります。

 この項目はこれで終わりです。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(8)

2017–04–22 (Sat)
 昭和17年10月の南太平洋海戦当時の隼鷹の兵装については竣工時+21号電探の設置のみで、機銃の増設は無いとする解釈を多く目にします。先日発売されたモデルアート艦船模型スペシャルNo.63飛鷹隼鷹の作例も同様でした。またハセガワが1/350隼鷹のバリエーションとして竣工直後の飛鷹を発表しましたが、「南太平洋海戦当時の隼鷹も製作可能」と宣伝文に書かれているため、ひょっとしたら増設機銃座や噴進砲座が含まれている部品Kを外してそっくり入れ替えるのかもしれません(この部分は実際に発売されて異なっていたら修正します)。

 しかしながら、私は南太平洋海戦当時の隼鷹は最低でも艦尾機銃座は増設済、そして艦橋前後の機銃についても海戦前に増設されていたのではないかと考えています。その根拠については完成後にまとめて書くつもりでしたが、ここで述べることにします。



 これから検討する事柄には「時系列」の要素が含まれるため、まず隼鷹の竣工時から昭和18年初頭までの主な行動を一覧にしてみます。

昭和17年
 5月3日 竣工
 5月22日 呉出撃、以降アリューシャン攻略作戦に従事
 7月3日 呉帰港
 7月   呉海軍工廠入渠(推定)
 8月13~22日 呉海軍工廠入渠
 10月3日 呉出撃、ソロモン作戦に従事、南太平洋海戦参加
昭和18年
 2月22日 呉帰港
 2月26日~3月15日 呉海軍工廠入渠

 大和ミュージアムの公開資料の中に飛鷹の一般艤装図がある事は以前にも書きましたが、この昭和18年6月14日出図の舷外側面図には艦橋の前後と艦尾の増設機銃座が描かれています。つまり昭和18年6月の時点で飛鷹は竣工時から機銃が増設されていた事になり、それまで入渠時期がほぼ同じだった隼鷹に関しても同様だったと考えられます。

 ただし工事は昭和18年2月の入渠で行われた可能性もありますが、既成艦船工事記録には具体的な工事内容は記されていません。南太平洋海戦当時の隼鷹/飛鷹の艦全体を写した写真や映像も見当たらず直接の検証はできないので、他の資料から増設時期を推測する事にします。

 まず、呉鎮守府戦時日誌の昭和17年7月分の作戦経過概要の造修 工廠工事 施設工事の24日の項目にこのような記述があります。

昭和17年7月24日
官房機密第三三三番電ニ依リ航空母艦ニ機銃増備工事施工ノ件指令

昭和17年5月1日~昭和17年8月31 呉鎮守府戦時日誌(3)
アジア歴史資料センター Ref.C08030325000 p68-69 より

 この訓令は他の鎮守府戦時日誌には記載がなく、内容はわかりません。しかしながら何らかの指令があったことは間違いなく、8月に呉海軍工廠に入渠した隼鷹/飛鷹はこれを受けて機銃の増設工事が行われたのではないかと考えます。

 昭和17年の夏はミッドウェーでの4空母喪失という大敗から何とか立ち直ろうとあらゆる艦船の空母改装が検討されていた時期で、戦訓から艤装方針も変更になりました。ミッドウェーに関しては敗戦隠蔽のために戦訓研究が禁止されたという話もあるのですが、艦の構造や運用に関する問題点についてはすぐに調査が始められたようです。

 以前にも触れた防研資料「発着兵器基地兵器関係」(登録番号⑥技術-兵器-292)の中に、「航空母艦艤装改善ニ関スル方針ノ件仰裁」と題された昭和17年9月22日付の稟議書の写しがあります。頭に「戦訓ニ鑑ミ」と有るので、恐らく珊瑚海とミッドウェー両海戦の戦訓から既存及び建造する航空母艦の艤装方針の改善を求めたものと考えられます。
 この書類には全体方針としてこう書かれています。

一.艤装改善ノ重點ヲ左ニ置クモノトス
(ロ)消防諸施設ニ對スル改善
(イ)揚爆彈魚雷装置ノ改善
(ハ)防禦甲板以下ニ對スル交通及連絡ノ確保
(ニ)對空諸兵装(見張施設ヲ含ム)ノ强化
(順は原文通り)

 そのうち、外形に直結する(ニ)の詳細について列記すると、

四.対空諸兵装ノ强化ニ關スル事項
(一)見張施設
  眼鏡装置ハ現狀ノ二倍程度ニ增强シ且報告費消時ヲ極力短縮ス
  ル如ク見張指揮裝置ヲ改善ス
(二)砲熕兵装
  (イ)主トシテ機銃ニツキ特ニ艦首尾方向ノ砲力增加ヲ計ル
  (ロ)高角砲及機銃ノ旋回俯仰能力ノ增大ヲ計ル
  (ハ)高角砲及機銃ノ俯角ヲ增加ス
  (ニ)機銃ノ射程增大ニツキ研究ス

 ほぼ同規模の艦として昭和17年1月に完成した祥鳳と11月の龍鳳の機銃配置を比較すると、龍鳳には艦首と艦尾に機銃が増設されている事がわかります。またソロモン海域での翔鶴型や瑞鳳も艦首と艦尾に増設機銃座が写っている写真や映像が残されています。従って上記稟議書の「艦首尾方向の砲力増加」については、書類が作成される前に既存の航空母艦への兵装強化策の一環として実施されたようです。

祥鳳と龍鳳の竣工時の機銃配置
(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 これらのことから、隼鷹の増設機銃座に関して、少なくとも艦尾のものは、8月に呉海軍工廠に入渠した際に上で述べた官房機密第三三三番電の機銃増備工事指令を受けて設置された可能性が高いのではないかと考えます。艦橋前後の機銃に関しては強化方針を示した文献などは見当たりませんが、南太平洋海戦当時の翔鶴型が増設されていた事から、隼鷹についてもこの時に増設されたのではないかと推測します。

 なお「見張施設の強化」に関しては、隼鷹の防空指揮所上の双眼鏡は図面上では竣工時の13基から大戦末期には21基に増設された事が示されていますが、南太平洋海戦当時は6cm双眼鏡2基の増設程度に留まっていたのではないかと見ています。この根拠も長くなるのでまた艦橋の製作に入った折にでも触れることにします。

 隼鷹の増設機銃についてはまだ少し書く事があります。続きは数日中に。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(7)

2017–03–04 (Sat)
 以前にツイッターでこう書いたところ、「隼鷹への21号電探の設置時期は17年5月ではないのか」という指摘を受けました。
 模型用の資料に17年5月と7月の両方の記述が混在している事は承知しています。結論を先に書けば「明確に17年7月設置を示した一次資料は無いが、物理的に5月に設置できた可能性は限りなく低い」と考えています。今回はその事について少し書きます。



 17年5月設置の根拠は恐らくこの記述が元なのだろうと思います。

内海西部で公試を実施した隼鷹には21号電探が装備された。本艦は電探を増設してMI及び北太平洋作戦(アリューシャン攻撃)に参加した数少ない艦の一隻。

福井静夫著「海軍艦艇史3」(KKベストセラーズ刊)p171 より

 しかしながら、電探を開発した側の資料や回想にはこれを裏付ける記述が見当たりません。福井氏に隼鷹の電探の写真を貸し出した伊藤庸二技術大佐は、「機密兵器の全貌」(興洋社/原書房刊)の中で21号電探開発の経緯についてこう述べています。

時は一七年の四月。出撃は六月である。その間に二一號電探と二二號電探とを間に合はせて、伊勢と日向とに夫々裝備しなければならない。(中略)そして出發に間近い頃にやうやく裝備實験が行はれた。(中略)實験委員會は、二一號は裝備を可とするも、二二號は撤去す可しときまり、時期をまって二二號は撤去することゝした。此の時旣に出動の時期はせまり、两艦は研究所の熟練技術者二名(中略)ずつを乘組ませて、進攻作戰に參加したのである。

「機密兵器の全貌」(原書房復刻版)p135-136より

 また、以前にも紹介した桜と錨の海軍砲術学校のサイトで公開されている「海軍電気技術史」第五部p92にも、「実験用として17年5月に伊勢に21号電探を試験装備」した旨の記述があります。

 次に、防衛研究所所蔵「航空母艦交戦記録行動調書」(登録番号④艦船・陸上部隊-行動調書-74)から、隼鷹の17年5月の行動記録を抜き出すと、以下の通りとなります。

昭和17年
 5月3日 竣工
    3日~7日 呉
    7日~8日 安下庄
    8日~11日 佐伯湾
    12日~13日 長島
    16日~17日 別府
    18日~19日 佐伯
    19日~21日 呉    
 5月22日 呉出撃、以降アリューシャン攻略作戦に従事

 日付の飛んでいる部分は判読不能や該当する地名が見当たらなかった所ですが、この時期所属航空隊は佐伯に移動してアリューシャン作戦への訓練に当たっていたため、いずれにせよ隼鷹は瀬戸内海西部や豊後水道を移動しながら発着艦訓練に就いていたものと考えられます。伊勢の21号電探の正確な試験日は判りませんが、仮に実用可の結論が出たとしても、この行動記録の記述が正しければ21号電探の装備が可能だったのは5月19日から21日迄のわずか3日間しかありません。上で引用した伊藤技術大佐の「出撃間際の実験」(伊勢の呉軍港出撃は5月29日)が正しければ全く間に合いません。

 宇垣纏中将の陣中日記「戦藻録」(原書房刊)に、この電探実験の時期を伺わせるくだりがあります。

(昭和17年)五月廿七(27)日 水曜日 曇
(略)
電波探知器漸く伊勢、日向に裝備を終わり、技術研究所長二階堂中將等挨拶に來れり。果して充分なる價値を發揮するや否や、
(略)

 この記述からも、装備実験が5月の早い時期では無かった事が推察できます。

 隼鷹にはもう一つ、竣工前または5月3日~7日迄の間に装備した可能性も残りますが、伊勢の試験の前でかつ兵器として使えるのかどうかもわからない試験搭載だった訳ですから、電探開発側の資料に何も記載されていない点に疑問があります。



 では7月に設置可能だったのかという点ですが、上で述べた防研の空母行動記録には7月に呉海軍工廠に入渠した旨の記述はありません。しかしながら、主機タービン関係で何らかの修理作業があった事を示唆する記録が残されています。

 アリューシャン攻略作戦に従事した第四航空戦隊は、ミッドウェー海戦の敗戦を受けてアメリカ空母部隊の進攻が予想された事から7月上旬まで警戒態勢に当たっていましたが、隼鷹は6月末に龍驤と分離して一足先に呉に帰港します。

舞鶴鎮守府戦時日誌(昭和17年6月分)アジ歴ref.C08030354300 p42より

発28日0810 北方部隊指揮官
着28日1800 二機動部隊 六駆指令(通報 長官外)
北方部隊信電第二二号
一.隼鷹呉ニ回航修理ノ件
(以下略)

高松宮日記(中央公論社刊)第四巻p284-285より

北部<北方部隊>(28-2100) 主隊・支援隊、第ニ機動部隊(「隼鷹」(呉回航タルビン修理)、「曙」「響」欠)陸奥湾出撃二〇〇〇。

 これらにより、隼鷹は7月3日の呉帰港後に修理作業が行われ、その際に21号電探を設置した可能性が高いのではないかと考えています。

 なお、呉鎮守府戦時日誌には隼鷹への電探装備の訓令は記載されていません。ただし経過概要の7月11日の項目に『官房機密第八四四五号ニ依リ軍艦隼鷹艤装一部改正ノ件指令』という記述があります。この内容はわかりませんが、以前に方位探知機アンテナについて艦橋への21号電探の装備に伴い1.5m測距儀と方位探知室及びアンテナが移設された事を書きました。すなわち単純な兵器の増設だけではなく装備品や区画の移設を伴う工事だったために「仮称二号電波探信儀装備の件」ではなく「艤装一部改正」という表題になったのではないかと考えています。

 この項目は以上です。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(6)

2017–02–18 (Sat)
 大戦初期の空母艦上機のマーキングは以前に述べましたが、日の丸の表示に関しても艦船の資料では今ひとつはっきりしない部分があるのでここで少し整理してみます。

 零戦に関しては昭和18年春頃まで明灰緑色一色だった関係で、日の丸は縁無しが基本だったと考えられます。ただし学研「零式艦上戦闘機2」によれば昭和17年6月頃から中島製の零戦21型に関しては胴体の日の丸に白縁が付けられるようになったとあり、以前に述べた日本ニュース第145號 「海鷲南海の索敵」にも胴体に縁有り無しの機体が混在して映っています。

 97艦攻と99艦爆は少し複雑です。まず開戦の真珠湾攻撃には多くの写真や記録映像が残っているので迷彩の有無に関係なく白縁無しの日の丸であることがわかります。


写真日本の軍艦3巻p175より
 昭和17年4月のインド洋作戦当時とされる瑞鶴の99艦爆の写真。上面が濃緑色で迷彩塗装され、翼上面と胴体の日の丸に白縁が付けられている事がわかります。


日本ニュース第99号「トリンコマリ洋上で敵空母を撃沈」(昭和17年4月28日公開)より
 一方で同じインド洋作戦時とされる赤城の97艦攻の映像では、開戦時と同じ上面胴体共に白縁のない日の丸のままです。


映画「帝国海軍勝利の記録」(1942)より
 この映画には時期は不明ながら胴体に白縁付き日の丸を付けた99艦爆が赤城から発艦するシーンが映っています。赤城の99艦爆のうち少なくともミッドウェーまでに上面濃緑色迷彩で白縁付き日の丸に塗装が替わった機があることを示しています。


丸スペシャルNo.94「ミッドウェー海戦」p85より
 ダッチハーバー攻略時とされる龍驤の97艦攻の写真ですが、胴体と翼下面に白縁付きの日の丸が描かれています。また開戦時に見られた97艦攻の翼下面に機番号の下二桁を描くマーキングは、(写真の説明が正しければ)少なくとも龍驤では昭和17年6月の時点でも継続されていた事になります。なお、元の写真ではこの機体は当時主力として用いられた三号艦攻ではなく、カウリングの形が異なる一号艦攻として写っています。



⑤⑥共にビデオ「日本海軍艦艇集【下】」より
 いずれも瑞鶴写真班が作成した「南太平洋作戦」と題されたフィルムからですが、胴体と翼上面に白縁がある機体と無い99艦爆が映っています。共に正確な撮影時期は不明ですが、どちらの機体も存在したことはわかります。また⑥の青矢印で、この機体は水平尾翼の偏流測定線が昇降舵の手前で切れているのがわかります。


日本ニュース第127号「南太平洋海戦」(昭和17年11月10日公開)より
 翔鶴を発艦する99艦爆ですが、翼の下面の日の丸には白縁がありますが胴体には付けられていません。この映像では翼の上面の白縁の有り無しはよくわかりません。


軍用機メカシリーズ11「彗星/九九艦爆」p98より
 昭和18年4月ラバウルに於ける隼鷹の99艦爆(22型)とされる写真。翼の下面に白縁がありますが、胴体にはありません。この写真も翼上面の塗装はわかりません。

 これらの写真や映像を並べて考えてみると、97艦攻と99艦爆の日の丸は開戦時の白縁無しから白縁あり、そして胴体は再び白縁無しとなる流れが見えてきます。ただし艦や時期にもばらつきがあることから、規定で一律に替わったものではなく、艦ごと、あるいは機体ごとの事情で違いが出たのかもしれません。それは最初に述べた零戦の胴体の日の丸が三菱製と中島製で白縁の有り無しが混在している事例からも推察できます。

 昭和17年の秋に「軍用機味方識別に関する海陸軍中央協定」が定められ、軍用機のマーキングに規定が加わります(協定文上の実施日付は昭和17年9月15日、ただし各部隊への通達周知の関係でタイムラグはあったようです)。これによって翼の前縁に黄色の識別帯が描かれた事はよく知られていますが、それ以外にもこんな内容があります。

迷彩セル飛行機ハ胴体両側ノ日ノ丸標識ヲ方形国旗標識(日ノ丸外切スル白部ハ七五粍以上)トシ若ハ日ノ丸標識ノ周囲ニ幅約七五粍ノ白輪ヲ描ク

 しかしながら、写真⑦⑧の協定以降とされる空母艦上機の映像や写真には胴体の日の丸に白縁が無いものがあります。特に⑧の写真説明が正しければ協定から半年以上経過しても内容通りには塗装されていなかった事になりますが、この事情について述べた資料はどうも見当たらず、理由は全くわかりません。




映画「海軍戦記」(1943)より
 上述の海陸軍協定以降に塗装されるようになった主翼前縁の敵味方識別帯は、母艦同士の戦闘が想定される状況では消したとする資料もありますが、少なくとも南太平洋海戦当日は付けたままである事がこの瑞鶴機からホーネットを捉えた写真でわかります。これよりわずかに角度が違う写真が幾つかの資料にも掲載されています。




 前回の記事で翼上面を白縁付きの日の丸とした99艦爆ですが、⑥~⑧の写真から翼上面と胴体は白縁無し、翼下面のみ白縁ありとしました。また水平尾翼の偏流測定線の範囲も昇降舵の手前までとしています。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(5)

2016–12–31 (Sat)
 前回の続き。

 艦上機のマーキングは写真や映像が残っていればそれに従えば良いのですが、竣工時~南太平洋海戦までの隼鷹機でそれがはっきりわかるものはどうも見当たらないので、他からの推測という形になります。

 隼鷹は昭和17年5月に竣工して第四航空戦隊の二番艦に編入され、アリューシャン攻略に臨みます。米軍に捕獲された古賀一飛曹の零戦から旗艦龍驤の艦上機のマーキングがDI-xxxと胴体帯1本である事が明白なので、従って隼鷹機はDⅡ-xxx、胴体帯2本と考えられます。

 同年7月に飛鷹が完成し、第四から替わった新第ニ航空戦隊は旗艦飛鷹と隼鷹・龍驤の編成となります。このときも隼鷹は戦隊序列二番艦なのでマーキングはアリューシャンから変更は無かったと考えられます。

 南太平洋海戦に関しては、直前に機関故障で離脱した飛鷹に替わり旗艦として海戦に臨んだ際に、DⅡ-xxxからDI-xxxに、胴体帯を2本から1本に替えたのかという問題があります。前回の記事の翔鶴と瑞鶴の例で挙げたように、戦隊内序列-すなわち旗艦の有無と艦上機のマーキングが必ずしも一致していなかった例が存在する以上、単純に旗艦交代で即替えただろうとは言い切れません。

 隼鷹と艦上機には、1943年(昭和18年)03月16日に公開された日本ニュース第145號 「海鷲南海の索敵」に映像が残されていて、並走する瑞鳳も写っています。映像が他から切り貼りされていないという前提ですが、飛鷹は公開日までに瑞鳳と行動を共にした記録はなく、隼鷹については昭和18年1月末から2月初旬に掛けて行われたガダルカナル島の撤退支援作戦に共に参加しているので、恐らくこの際に撮影されたと考えられます。

 この映像には垂直尾翼にA2-2-102と描かれ、胴体帯2本の零戦が発艦するシーンが映っています。南太平洋海戦の後にマーキングの規定が変更になり、A(+)航空戦隊の番号-戦隊内序列-機番号に替えられたようですが、昭和18年2月頭の段階で隼鷹機が戦隊内序列2、胴体帯2本を示しているならば、南太平洋海戦当時も同様だったと考えるのが自然です。すなわちマーキングはDⅡ-xxxのままだったと推測できます。


日本ニュース第145號 「海鷲南海の索敵」より
隼鷹より発艦する零戦A2-2-102号機



 前回も少し触れましたが、一般的に航空戦隊の番号とされる胴体帯の色の意味に関してははっきりしない部分があり、記事が長くなるので詳しく書くのは止めますが、ミッドウェー海戦当時に関しては異論も存在します。南太平洋海戦では翔鶴の記録写真や映像から全機が旧五航戦時代に付けていた白またはそれに近い色に塗られているように見えるため、隼鷹も全機が旧四航戦の黄色だったのではないかと考えますが、この点には確証がありません。

 また、指揮官が乗る機体には垂直尾翼の機番号の上下に識別帯が付きますが、これにも規定が残っていないようで、模型用の塗装図でも黄色だったり胴体帯と同色だったりと混乱が見られます。攻撃隊の総指揮官が黄色でそれ以外は胴体帯と同色とする解釈もあるようですが、残存する映像写真や証言の最大公約数より上の根拠は無いはずです。

 南太平洋海戦での隼鷹は第一次攻撃隊の99艦爆17機中9機が撃墜され2機が不時着の計11機が未帰還となり、中隊長2機は全滅、小隊長4機も1機が母艦までたどり着けず偵察員が機上戦死を遂げます。艦攻隊をはさんだ第三次攻撃隊は4機で出撃することになりましたが、帰還した6機の状況を隼鷹飛行機隊の戦闘行動記録(アジ歴Ref.C08051583500 p22)より一覧にすると以下の通りとなります。

中隊小隊被弾搭乗員
操縦偵察第三次攻撃
22木村光男加藤舜孝
山川新作西山 強
23藤本義夫田島一男参加せず
26宮武義彰木村昌富
児島徳男柳原辰夫参加せず
27小瀬本国雄佐藤雅尚

 ここで引っ掛かるのは、第2中隊第26小隊の2番機が被弾が無かったにもかかわらず搭乗員が第三次攻撃隊に参加していない点で、ひょっとしたら被弾6の小隊長と交代したのかもしれません。それで被弾4・2と被害が比較的浅かった2機を加えて4機で再出撃したとすれば、一応つじつまは合います。この場合、99艦爆で小隊長記号が付いた機は1機のみとなります。

 ちなみに、第三次攻撃隊の零戦6機についてはそれまでに被害はなく、それぞれ中隊長と小隊長の識別帯が付いていたようです。ただし、大戦中の空母搭乗員の証言や回想によれば、特に上空警戒と護衛の両方の任務が当てられた戦闘機では海戦の推移に伴って指揮官標識に関係なく手が空いた機を順次運用する事もあったそうなので、搭乗員が同じでも使用する機が替わっていた可能性も否定はできません。

 以上のことがらをまとめると、南太平洋海戦に於ける空母隼鷹の艦上機はこのように考えられます。

垂直尾翼のマーキング DⅡ-xxx(零戦100,99艦爆200,97艦攻300番台)
胴体帯の色 黄色帯二本
指揮官識別帯 全て黄色帯
(第三次攻撃隊は零戦のみ中・小隊長記号、99艦爆は1機のみ小隊長記号あり)
主翼の前縁に敵味方識別帯あり

 推測の上の推測で確証はありませんが、一応これで10機作ることにします。

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MOMOKO.120%

Author:MOMOKO.120%
職業:自営業見習い
趣味:ブログの通り
模型の守備範囲:船
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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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