FC2ブログ

翔鶴型航空母艦に関する覚え書き。

2020–03–08 (Sun)
 少し前に「隼鷹の飛行甲板には瑞鶴のような高角砲位置標識は無かったのか」という御指摘を受けました。少なくとも昭和19年の写真には無く、また昭和17年~18年初めも写真やニュース映像からは明確に確認できない事から無かっただろうと考えています。


海軍艦艇史三巻より
昭和17年7月・21号電探実験中とされる写真
右舷三番高角砲周辺には何の標識も認められません。



 瑞鶴の写真に写っている高角砲位置標識については「一般的にそう呼ばれているもの」であって、本当に飛行甲板上に於ける高角砲の位置を示すのが目的だったのか、仮にそうだったとして何故位置を示す必要があったのかといった事は実はよくわかっていません。


いずれも写真日本の軍艦第三巻より
左舷艦首側に描いた写真は無いと思い込んでいましたが、
再確認したところ有ったので示しています。

 元々白黒写真に写りにくい標識に加え、太平洋戦争中の航空母艦の飛行甲板表面を明確に捉えた写真や映像はあまり多くはありませんが、少なくとも赤城にはこのような塗装はありませんし、真珠湾攻撃とされるニュース映像では翔鶴の右舷1番高角砲周辺には何も写っていません。


ビデオ日本海軍艦艇集下巻より

 同型艦にも無いということは、ミッドウェーの日の丸のような航空母艦全てを対象とした統一規定に基づいたものでも、また翔鶴型空母に共通する問題に依るものでもなく、瑞鶴固有の判断で塗装していたのではないかと考えます。

 また瑞鶴も艦尾側の高角砲周辺に関しては標識を明確に示す写真や映像がなく、あったかどうかはよくわかりません。模型の場合、描いた理由が「高角砲の位置を示すため」ならば艦首と同じように描かれていたと判断するのが妥当ですが、規定も位置を示す理由も明確でない事は留意した方が良いかもしれません。



 瑞鶴の飛行甲板については、他に左舷四番高角砲直後から1番エレベーター横に掛けて白線の標識が認められます。


写真日本の軍艦三巻より

 この標識も用途が不明で、翔鶴に描かれていたかどうか明確な写真や映像はなく、他艦にも同様の例は見当たりません。ただしレイテ沖海戦直前に撮影された映画「雷撃隊出動」の開始後1時間17分45-55秒付近のシーンでは、他の大半の標識が消されているにもかかわらず明確に認められるので、少なくとも瑞鶴にとっては重要度の高いものだったと考えられます。


映画「雷撃隊出動」より

 なおこの映画には艦載機の側から捉えた発艦シーンがもう一ヶ所あります。開始後4分40秒~5分00秒付近の映像は甲板に迷彩塗装がなく上で示したシーンと同一時期の撮影ではない事がわかりますが、


同映画より

 この映像をよく見ると(1)艦首前端の増設機銃座と(2)噴進砲座が見当たらないので、マリアナ沖海戦より前に撮影されたもののようです。(3)の瑞鶴にあった標識が見当たりませんが、中心線も含めて一切の標識が消されているようなので、翔鶴かどうかはこのシーンだけでは判断できません。

この項目は以上です。

隼鷹型航空母艦に関する覚え書き(13)補足

2020–03–04 (Wed)
 以前覚え書きの13で艦載艇の艦名標記が太平洋戦争の直前に名前から数字の組み合わせに変わったと書きました。その時は規定変更の条文は見当たらなかったのですが、アジ歴を再確認したところ有ったので補足しておきます。

●艦船装載短艇標記ノ件(昭和一六機密命令四五)

來五月十日ヨリ當分ノ間艦船搭載短艇標記ノ艦船名ハ之ヲ廢止シ同艦船名及昭和九年第一艦隊法令第四號第一艦隊機動艇識別符標規程所定ノ艦名標文字ノ代リニ別表ノ標記ヲ附スルコトニ定ム

標記記註例
軍艦装載短艇
(長官艇、司令艦艇ヲ除ク)
分子ニ艦船番號ヲ
分母ニ隊番號ヲ記入ス
2/3
(三番隊二番艦ヲ意味ス)
(以下、軍艦以外の艦種と長官司令長官艇の標記等は省略)

第1艦隊例規(附連合艦隊例規) 昭和15.7.5 第5類 艦政
アジア歴史資料センター Ref.C18010078900 p14(No.1761) より

 隊番号とは連合艦隊戦時編成表の各艦隊内に於ける戦隊の序列を意味します。従って昭和16年5月10日以降の設定であれば、艦載艇の艦名標記は文字ではなく数字や記号の組み合わせになります。


 隼鷹は南太平洋海戦の直前に飛鷹から旗艦を交代していますが、本製作では艦載艇の標記の書き換えは時間的に行えなかったのではと考え、第三艦隊二番隊(第二航空戦隊)二番艦を示す2/2のままとしています。

 印字は透明デカールにALPS MD-5500のプリント(約1.5mm x 0.5mm)です。もう一回り小さくしたかったのですが、これ以下では数字の形として印字できません。同様の理由で6m通船の標記は省略しています。

 この項目は以上です。

初代海王丸の現況について。

2020–02–09 (Sun)
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 少し前になりますが、新湊の初代海王丸を見てきました。訪問は2016年以来3年半ぶりで、全体的には大きく変わった部分はないように見えましたが、幾つか気になった所もありました。

 まず、前部船橋張り出し付近の救命筏用の非常灯が両舷共に撤去されていました。これは引退2年前の1987年春の入渠工事の際に設置されたもので、元々は船の前方と後方計4ヶ所の救命筏の近辺にあったものです。引退後1990年の一般公開開始当初は全て残存していたようですが、2003年の時点で後方の救命筏用の非常灯は既に撤去され、前方のものだけが残っていました。

前部船橋張り出し右舷側の非常灯
左:2012年11月、右:2020年1月
青矢印の非常灯用のスイッチボックスは残存しています。
また黄矢印は後で述べる1番救助艇ダビット用のウインチです。

同左舷側
左:2004年9月、右:2020年1月
スイッチボックスは隠れて見えませんが右舷同様残存しています。

後部救命筏用非常灯の取付跡(共に2020年1月)
スイッチボックスは左舷側のみ残存しています。

 それと、右舷1番救助艇の重力式ダビット用ウインチで操作盤と警報プザーBOXの部分が撤去されていました。操作盤はスタンド式の箱の中にありましたが、引退後にスタンドの脚の部分に金具を取り付けて手すり支柱の一部とし、箱にカバーをかぶせて順路の看板が付けられていたものです。

1番救助艇重力式ダビット用ウインチ周辺
左:2016年4月、右:2020年1月

 これらの装備品は海王丸財団公式Facebookの写真を見る限り2019年2~4月頃までは有ったようなので、撤去は極く最近行われたようです。

 他には上部構造物の各壁面に装備されているデッキライトの仕様が変わっていました。現役当時の1980年代は電球式でしたが、引退の直前かもしくは1990年の一般公開開始時に蛍光灯式に変更されていました。電球の外観を見る限りLED式との交換で、公式Facebookの写真を見る限り2017年秋~2018年春頃に行われたようです。

デッキライトの仕様
左から1983年4月、2016年12月、2020年1月



 初代海王丸が1990年に一般公開を始めた時、写真で見る限りでは引退当時の装備品の大半が残存していました。引退後に私が初めて訪問したのは2002年でしたが、既にレーダーの導波管や前部船橋背後のデイリータンク、後部船橋上の無線用のトランスといった大きな装備品が撤去されていました。あれから18年が経過しましたが、甲板上の大きな変更といえば機関室天窓左舷側にあった調理室排気筒の撤去と、各救命救助艇の内部を整備して春~秋の期間カバーを外して公開対象に加えたことくらいで、比較的変化は少なかったように感じます。

 ただし目に見えない水線下の外板は消耗が激しい部分に溶接補強が成されている(リベット打ち工法の技術が既に絶えているため)ほか、腐食防止用の大型のアルミ材が全周に渡って取り付けられているなど相当思い切った延命工事が行われています。

 保存船は現役当時に近い姿を見せる事が理想ですが、消防法の制約に加え維持管理や安全上の都合で変わってゆく部分が出てくるのはやむを得ない所があります。色々書きましたが初代海王丸の維持管理は保存船の中でも最上位クラスで、無秩序な改装や財政難で現役当時の姿をあまり留めていなかったり非公開区域が荒れ放題の船もあると聞きます。

 とはいえ財団の職員も基本数年で交代してゆきますから、変えるにしても記録がきちんと整理継承されていないと、いつかは「元の状態」がなにかもわからなくなってしまいます。私は部外者ですからそのあたりの事情はわかりませんが、きちんと成されていると思いたいものです。


 これは中甲板ミズンマスト付近左舷側の非公開になっていた倉庫を改装した部分で、愛結び/愛鍵の部屋と名付けられています。ここ数年特に力を入れている、船を含めた海王丸パーク全体を恋人の聖地とした若いカップル向けのアピール活動の一環で、互いの名前を書いたハートの形の鍵を掛けて永遠の愛を誓う場所となっています。

 この項目は以上です。

1/27更新の記事につきまして(続き)

2020–02–02 (Sun)
 記事の趣旨はアジ歴の戦前の海軍公報(部内限)に於いて、昭和16年の第一航空戦隊(第一航空艦隊)の旗艦が赤城ではなく加賀の時期が大半を占めるのに対して、この時期の赤城の艦上機とされる写真はいずれもAⅠ-xxxのマーキングである事から、一航戦も五航戦のように旗艦の有無に関係なくマーキングの書き換えは行われなかったのではないか。一般的に艦船番号と言われている二文字目のローマ数字の意味には検討の余地があるのではないかというものでした。

 記事をupしてすぐ、有り難い事に「第一航空艦隊の旗艦は何度も入れ替わっている、翔鶴だった時期もある」という御指摘を受けました。改めて確認したところその通りだったので撤回した次第です。



 昭和16年の第一航空戦隊と4月10日に開隊した第一航空艦隊の旗艦を、海軍公報(部内限)の記載を元に一覧にすると以下の通りとなります。

第一航空戦隊旗艦
昭和15年11月15日~昭和16年5月20日 加賀
(旗艦変更日は丸スペシャルの行動記録より)

第一航空艦隊旗艦

期間旗艦公報掲載備考
昭和16年4月10日~5月20日赤城4月14日付※1
5月21日~6月15日頃加賀5月26日付 
6月15日頃~7月12日赤城(記載なし)※2
7月13日~7月30日加賀7月16日付 
7月31日~8月25日赤城8月4日付 
8月26日~9月7日翔鶴8月27日付※3
9月8日~9月26日赤城9月11日付 
9月27日~10月24日加賀9月30日付 
10月25日~昭和17年6月6日赤城10月28日付 
※1.この期間、公報艦船所在の赤城に司令長官・加賀に司令官の印有り
※2.艦船所在の司令長官の印変更より
※3.この期間赤城加賀共に司令官座乗せず(艦船所在に印なし)

 昭和16年4月に第一航空艦隊が開隊してから10月末に赤城に固まるまで、半月から一ヶ月単位で旗艦を交代していたことになります。旗艦は一度交代すると一定期間務めるという思い込みが私にあったため、確認が充分ではありませんでした。

 それで、昭和16年に於ける旗艦が加賀だった時期の方が長かったのは間違いありませんが、これほど頻繁に交代していたとなると、艦上機のマーキングの書き換えが間に合わない、または暫定的に描き替えなかった可能性も考えられ、一航戦が五航戦のように旗艦の有無に関係なくマーキングの書き換えを行わなかった根拠にはなり得ません。従って最初に述べた1/27の記事は書き換えず撤回することとします。

 この項目は以上です。

本日(01/27)更新の記事につきまして

2020–01–27 (Mon)
 本日書いた空母艦上機のマーキングに関する記事ですが、up後に有り難い事に「昭和16年の一航戦の赤城と加賀の旗艦の時期について検討不十分な箇所がある」という御指摘を受けました。確認したところその通りなので再度記事を書き直します。そのため本日の記事は一旦撤回とします。何卒御了解願います。

 | HOME |  次へ »

プロフィール

MOMOKO.120%

Author:MOMOKO.120%
職業:自営業見習い
趣味:ブログの通り
模型の守備範囲:船
Webページ:模型の缶詰

現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

Twitter

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

カレンダー(月別)

03 ≪│2020/04│≫ 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月別アーカイブ

2020年 03月 【5件】
2020年 02月 【4件】
2020年 01月 【3件】
2019年 12月 【4件】
2019年 11月 【5件】
2019年 10月 【3件】
2019年 09月 【3件】
2019年 08月 【3件】
2019年 07月 【5件】
2019年 06月 【4件】
2019年 05月 【3件】
2019年 04月 【4件】
2019年 03月 【4件】
2019年 02月 【4件】
2019年 01月 【4件】
2018年 12月 【3件】
2018年 11月 【4件】
2018年 10月 【5件】
2018年 09月 【2件】
2018年 08月 【4件】
2018年 07月 【8件】
2018年 06月 【5件】
2018年 05月 【3件】
2018年 04月 【4件】
2018年 03月 【5件】
2018年 02月 【1件】
2018年 01月 【4件】
2017年 12月 【5件】
2017年 11月 【5件】
2017年 10月 【5件】
2017年 09月 【3件】
2017年 08月 【4件】
2017年 07月 【4件】
2017年 06月 【3件】
2017年 05月 【4件】
2017年 04月 【4件】
2017年 03月 【2件】
2017年 02月 【3件】
2017年 01月 【3件】
2016年 12月 【5件】
2016年 11月 【5件】
2016年 10月 【4件】
2016年 09月 【6件】
2016年 08月 【4件】
2016年 07月 【4件】
2016年 06月 【3件】
2016年 05月 【4件】
2016年 04月 【2件】
2016年 03月 【7件】
2016年 02月 【4件】
2016年 01月 【3件】
2015年 12月 【4件】
2015年 11月 【2件】
2015年 10月 【3件】
2015年 09月 【3件】
2015年 08月 【6件】
2015年 07月 【4件】
2015年 06月 【5件】
2015年 05月 【6件】
2015年 04月 【5件】
2015年 03月 【5件】
2015年 02月 【4件】
2015年 01月 【6件】
2014年 12月 【5件】
2014年 11月 【5件】
2014年 10月 【4件】
2014年 09月 【4件】
2014年 08月 【5件】
2014年 07月 【1件】
2014年 06月 【1件】
2014年 05月 【3件】
2014年 03月 【1件】
2014年 02月 【1件】
2014年 01月 【2件】
2013年 12月 【1件】
2013年 11月 【1件】
2013年 10月 【2件】
2013年 09月 【2件】
2013年 08月 【2件】
2013年 07月 【1件】
2013年 05月 【1件】
2013年 04月 【1件】
2013年 03月 【1件】
2013年 02月 【3件】
2013年 01月 【4件】
2012年 12月 【4件】
2012年 11月 【6件】
2012年 10月 【2件】
2012年 09月 【2件】
2012年 08月 【2件】
2012年 07月 【2件】
2012年 06月 【3件】
2012年 05月 【4件】
2012年 04月 【1件】
2012年 03月 【2件】
2012年 02月 【4件】
2012年 01月 【9件】
2011年 12月 【8件】
2011年 11月 【6件】
2011年 10月 【14件】
2011年 09月 【8件】
2011年 08月 【5件】
2011年 07月 【6件】
2011年 06月 【4件】
2011年 05月 【4件】
2011年 04月 【4件】
2011年 03月 【1件】
2011年 02月 【3件】
2011年 01月 【3件】
2010年 12月 【7件】
2010年 11月 【9件】
2010年 10月 【9件】
2010年 09月 【10件】
2010年 08月 【11件】
2010年 07月 【6件】
2010年 06月 【4件】
2010年 05月 【5件】
2010年 04月 【5件】
2010年 03月 【3件】
2010年 01月 【3件】
2009年 12月 【7件】
2009年 11月 【4件】
2009年 10月 【1件】
2009年 09月 【5件】
2009年 08月 【10件】
2009年 07月 【3件】
2009年 06月 【5件】
2009年 05月 【9件】
2009年 04月 【2件】
2009年 03月 【9件】
2009年 02月 【7件】
2009年 01月 【9件】
2008年 12月 【7件】
2008年 11月 【9件】
2008年 10月 【4件】
2008年 09月 【9件】
2008年 08月 【9件】
2008年 07月 【11件】
2008年 06月 【10件】
2008年 05月 【11件】
2008年 04月 【10件】
2008年 03月 【10件】
2008年 02月 【14件】
2008年 01月 【15件】
2007年 12月 【16件】
2007年 11月 【15件】
2007年 10月 【15件】
2007年 09月 【15件】
2007年 08月 【16件】
2007年 07月 【15件】
2007年 06月 【15件】
2007年 05月 【17件】
2007年 04月 【15件】
2007年 03月 【15件】
2007年 02月 【14件】
2007年 01月 【16件】
2006年 12月 【16件】
2006年 11月 【15件】
2006年 10月 【16件】
2006年 09月 【15件】
2006年 08月 【15件】
2006年 07月 【17件】
2006年 06月 【13件】

ブログ内検索

リンク

RSSフィード

ブログランキング

気に入っていただけましたら
押して頂けると励みになります

AD banner

楽天で探す
楽天市場