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航空母艦龍鳳に関する覚え書き。

2019–04–07 (Sun)
 模型の資料として最も身近なものが写真集で旧海軍関係も色々出回っていますが、元が同じ写真であっても印刷の具合によってディテールが見えたり見えなかったりという事があるほか、特に注意したいのは「トリミング」で、レイアウトの関係で元写真から一部が切り抜かれた状態で出版される場合もままあります。ですから写真集に掲載されている写真が必ずしも全ての情報とは限らないという事は常に気を付ける必要があります。

 1970年代の雑誌「丸」には、額縁用ワイド写真として大判の折り込みが付いている号があり、1975年1月号には空母隼鷹の傾斜試験を右舷斜め前方から捉えた有名な写真(丸スペシャルNo.11 p8上段、学研「空母大鳳・信濃」p120上段、日本海軍艦艇写真集航空母艦・水上機母艦p104他)が掲載されていました。特に必要とも感じていなかったのですが、少し前に古書店で比較的安価で売っているのを見つけて取り寄せてみました。

 送られてきた現物を見てびっくり仰天。それは隼鷹ではなく、丸スペシャルでは白飛びでほとんどディテールがわからず、その他の書籍ではトリミングされていた艦首遠方の空母龍鳳の姿がある程度判る状態で写っていたことでした。


丸1975年1月号より

 そして仰天の後に頭を抱えました。昭和19年5月3日撮影とされるこの龍鳳の写真は飛行甲板が明らかに延伸されていません。

 空母龍鳳は昭和17年11月の竣工から終戦までの間に飛行甲板の前端を延伸しているのですが、工事時期の記録が残っていません。模型用の資料では昭和19年1月の因島と7月の呉海軍工廠の入渠工事の二つの説に割れていて、それはマリアナ沖海戦当時の龍鳳の状態がどちらかという点で模型屋的にも極めて厄介な問題でした。

 そして1月延伸説を取る根拠の一つとして、福井静夫氏の機銃現状調査表に於いて昭和19年7月10日現在の龍鳳の図が飛行甲板延伸済で艦首機銃も移設済として描かれている点が挙げられていました。龍鳳はマリアナ沖海戦の後6月末に呉に帰投、7月9日~20日まで呉海軍工廠に入渠しているため、延伸されていなければ艦首周辺の機銃配置が調査時点に於ける「現状」と合わなくなるからです。

 しかし龍鳳は写真撮影から間もなくタウイタウイに移動しマリアナ沖海戦に参加しているため、飛行甲板が延伸されていないのならば福井氏の調査表の内容と根底から矛盾することになります。



 写真と調査表のどちらがより実態に近いのか。まずこの写真の真偽を考えます。

・ここに写っているのは本当に龍鳳か
 平甲板空母のうち船型の違いから大鷹型・神鷹・海鷹は除外。千歳型も艦首と飛行甲板前端の位置関係の違いから除外できます。残るのは瑞鳳と龍鳳ですが、右舷側の配置を比較すると艦首側の高角砲と煙突の間隔が砲座分だけ開いているのが瑞鳳でそれ以上開いているのが龍鳳。そして写真は間隔が開いているので龍鳳と推測できます。


右が瑞鳳の竣工時。1番高角砲と煙突の位置関係に注意。

・隼鷹は本当に昭和19年5月3日に傾斜試験を実施したのか
 隼鷹の戦時日誌は残っていないようですが、兵術同好会発行の波涛1997年3月号に当時の内務長・桜庭久右衛門少佐の昭和19年年初からマリアナ沖海戦までの日誌の抄録が掲載されており、昭和19年5月3日付で傾斜試験を行った事が明記されています。

 5月3日
傾斜試験。10度の計画は8度で終わりしも概ね予測の効果をおさめたり。
最後に人を集め600人を利用せば0.3度傾くを発見。人の重量は大したことなきと思いたり。

 これにより傾斜試験の日付に間違いがないことがわかります。

・同日に龍鳳が背景に写る可能性はあったのか
 防衛研究所所蔵「航空母艦交戦記録行動調書」(登録番号④艦船・陸上部隊-行動調書-74)に於ける、隼鷹と龍鳳の昭和19年5月第1週の記録は以下の通り。

隼鷹
 1日~4日 平群島沖
 4日~6日 岩国沖 6日六五二空飛行隊収容
 6日~   佐伯
龍鳳
 1日~3日 平群島沖
 3日~5日 岩国沖
 5日~6日 平群島沖
 6日~7日 岩国沖 6日六五二空飛行隊収容
 7日~   佐伯沖

 龍鳳は3日は平群島沖に在泊していたものの、その日のうちに岩国沖に移動しています。この記録が正しければ隼鷹の傾斜試験中に写る可能性があり、また別のカットの写真には背景に写り込んでいない理由も推察できます。

 これらのことがらと、隼鷹の艦首両舷の増設機銃は昭和19年3月までかかった雷撃損傷修理の際に設置されたと考えられる事から、冒頭の写真は昭和19年5月3日に於ける龍鳳の可能性が高いのではないかと考えます。



 防研の龍鳳の行動記録はタウイタウイに移動した後の6月の記録が空白で何も書かれていません。しかしながら戦局が逼迫しつつあった外地で飛行甲板の延伸工事を行ったとは考えにくく、龍鳳がマリアナ沖海戦まで飛行甲板が短いままだったとすると、既に飛行甲板を延伸し艦首機銃も移設済の上から更に機銃を増設したとする福井静夫氏の機銃現状調査表は、本当に昭和19年7月10日現在またはその近辺の記録だったのか?という疑問が出てきます。

 考えられる事としては、機銃現状調査表には移設を示す記述がないので、工事予定の飛行甲板延伸とそれに伴う機銃移設を示す一般艤装図の一部改正図を「現状」とし、そこに新規に増設する機銃等を書き加えた可能性で、それでも設置状況を示すという図の趣旨には反してはいませんが、すっきりしないものは残ります。

 もっとも模型屋としては、現実問題として戦争末期の詳細な兵装図は他にほとんど存在しないので、仮に内容の一部に疑問があっても確かめる手段がなければ調査表に沿ってまとめるしかありません。ただ可能であれば上の写真のように別の史料で検討できればより確度の高いものになると考えます。

 この項目は以上です。

戦艦武蔵に関する覚え書き。

2019–03–31 (Sun)
 今年になってアジア歴史センターの公開資料の中に防衛研究所所蔵の電報のデジタルデータが追加されました。元々電報は保存期間が短かったそうで戦争末期の昭和19年~20年のものが中心、他に海軍信号書や略語表なども含まれています。

 電報史料は今まで閲覧の機会がなく早速見てみたのですが、昭和19年の親展電報綴の中に気になるものがありました。

(昭和十九年)四(月)五(日)
發武藏艦長 機密第〇四二二四五番電

防空兵装強化ニ關シテハ中央トモ折衝中ナルモ呉工廠ニテハ左ノ二案アリ第二案實施<実施>ノ場合ハ入渠前ニ副砲二基陸揚ノ要アリ只今ノ處<処>四月八日入渠ノ豫定<予定>第一第二案何レニ依ラルルヤ何分ノ指令ヲ■得度

第一案揚錨機艦内修理可能ノ場合損傷復舊<復旧>工事ハ四月三十日此ノ場合機銃ノミ増備可能(但射■装置及覆塔間ニ合ハズ)揚錨機陸揚ゲ修理ヲ要スル場合損傷復舊ハ五月二十日此ノ場合機銃射■装置及覆塔ノ一部間ニ合フ

第二案高角砲ヲ増備セバ六月十日完成(但シ高射装置及■弾■装置間ニ合ハズ)

親展電報 昭和19年(4)
アジア歴史資料センター Ref.C19010006700 p22-23(No.0183-0184)
昭和19年度 親展 電報
防衛研究所史料④艦船・陸上部隊-電報-9 より

 アジ歴のデータは判読が難しい部分があり、他に東京での調べ物も溜まっていたので、少し前になりますが防研に出向いて原史料を見てきました。■は原史料でも判読ができなかった部分で、第一案の■はどう見ても撃とは読めず専に近い文字のように見えます。ここでは判読不能の文字列に関しては除外して考えることにします。



 大和型戦艦の竣工時は副砲が前後と両舷側の合わせて4基装備されていました。昭和18年末から19年に掛けて相次いで潜水艦の魚雷攻撃を受けて損傷し、その修理の際に舷側の副砲を撤去して高角砲や対空機銃を増設しましたが、19年4月~5月に掛けて工事を行った武蔵は砲台を設置したものの高角砲は増設されず、代わりに機銃を装備しただけに留まります。

 武蔵で高角砲の増設が実現しなかった理由として「高角砲の生産が間に合わなかった」と書かれている資料を多く目にします。一方で宇垣纏中将の陣中日誌「戦藻録」の以下の記述から、設置工事そのものが間に合わなかったとする解釈もあります。

(昭和十九年)四月十七日
(前略)
武藏の損傷復舊及對空砲火の增强<増強>に就ては數<数>案あるも、五月十日を目標に全兵力の集結を行ふ艦隊司令部の意嚮<意向>に基き、五月四日工事打切の事に決定其の旨機動艦隊司令部より電報せり。

 この中に出てくる「対空砲火増強の数案」が、上で述べた親展電報で呉工廠から提示された第一・第二案とすると、期限が明示されている(兵器の手配は済んでいる)事から高角砲の生産が遅れたとは考えにくく、また工事が間に合わなかったという解釈もニュアンスが少し変わってきます。

 親展電報綴にはどの案を指示したのかといった返信電は含まれていませんが、工事の状況を見れば高角砲を増設する第二案であった事は明白です。ただし既成艦船工事記録には以下のように書かれています。

昭和19年
 3月8日付 区分損傷復旧 4月3日~5月20日 予定外(手書き)
 4月7日付 区分損傷復旧 4月3日~5月20日→4日に手書きで訂正
  高角砲 機銃 哨信儀
 5月10日付 区分損傷復旧 4月3日~5月4日
  機銃 哨信儀 高角砲(今期ヤラズ)

 当初の工事終了予定とされた5月20日は電文の第一案で示された揚錨機陸揚修理の場合の見通しと同じです。つまり第二案を指示したものの、高射装置などが間に合わないために高角砲の設置はすぐに見送られ、揚錨機の修理期限を以て終了としたのかもしれません。終了日は更に4日に前倒しされますが、これも戦藻録の記述と一致します。

 しかしながら2~3月のトラック・パラオ大空襲で米軍の侵攻が加速していた状況下に於いて、対空射撃も可能な15.5cm副砲を撤去してかつ高角砲の設置を後回しにした判断自体がはたして妥当だったのか。結果的にマリアナ沖海戦の後は多少の機銃を設置しただけで、高角砲は最後まで増設できないまま戦没に至ります。

 私はこの電文を見るまでは武蔵の対空兵装の強化策は大和と同じで、ゆえにあのような中途半端な改装を強いられたのだろうと考えていましたが、副砲を残して機銃を増設する案も提示されていたとは夢にも思っていませんでした。判断に至った理由は全くわかりませんが、予備浮力の関係で大和と同等の機銃が増設できたかどうかはこの電文でもわかりませんし、後で設置が可能ならば12.7cm高角砲への換装準備をある程度進める方針も理には適っています。

 それにマリアナの戦いがあれほど一方的な結果に終わりその後の水上艦艇が輸送と敵泊地への特攻攻撃しかなくなる状況は、昭和19年春の段階では予測困難だった可能性も充分に考えられます。中途半端に撤去するくらいなら第一案を選んで副砲を残すべきだったというのは、平成も終わろうとする現在から見た結果論でしかないのかもしれません。



 親展電報でもう一つ気になる点は、工事に二ヶ月掛けても「高射装置が間に合わない」というくだりです。判読不能の装置と合わせてという事なので設置工事が間に合わないと取るのが自然ですが、高角砲台の新設込みとはいえそれほど時間が掛かるのだろうかという印象があります。確かに大戦中に高射装置を増設または換装した艦は数ヶ月掛かる大損傷の修理の際と考えられる場合が大半ですが、ならばミッドウェー海戦で空爆により損傷し航空巡洋艦に改装された最上が、その後も旧式の91式高射装置のままだった点が疑問として残ります。

 また武蔵に設置が予定されたのは大和の例から見て94式高射装置ですが、開発生産元の日本光学工業(現在のニコン)が社史で述べている生産数と実際に配備された総数がほぼ同じであるため、大戦中は需要に生産が追いついていなかった可能性も考えられます。 模型屋はついつい個々のパーツ単位で見がちですが、高角砲と高射装置はセットで捉えるべきもので、高射装置の指揮下にない高角砲は威力が大幅に低下し、それはレイテ沖海戦や沖縄特攻に於ける損傷後の武蔵や大和の戦闘経過が如実に示しています。

 大戦中に要望や改装案が練られながら各艦艇に高角砲の大幅な増設が進まなかった原因も、砲の生産より高射装置の生産や装備に時間的な余裕が無かったからではないかと考えますが、艦艇装備品の生産計画や装備に要する工数といった史料はどうもあまり残っていないらしく確証はありません。

 この項目はこれで終わりです。

帆船初代日本丸の船底見学会について。

2018–12–16 (Sun)
 11月より大規模修繕工事に取りかかっている横浜の帆船初代日本丸で、ドックの水を抜いた状態での船底の見学会が来年1月に開催されます。募集要項にもあるように対象は地元横浜市の在住または在勤在学者のみですが、現在の船には無い、戦前のリベット打ちの船の水線下を直接見られる機会はまず無いので、見学可能な方はぜひ参加されてはと思います。また修繕工事で造船所まで移動した海王丸とは異なり、日本丸は公開場所での工事なので、規制区域の外から望遠などで船底の状況を確認するのもある程度可能ではないかと考えます。

 最近の模型では1/700のような小スケールでも継ぎ目として表現される事が多い船の外板ですが、洋上模型はさほどでもないものの、フルハルは船体の中央と艦首尾で断面形(外板で覆う面積)が大きく異なるので、想像ではどうしても水線下の表現に不自然さが残ります。しかしドック入り等で船底部がわかる写真資料はほとんど残されていません。

 船の外板の表現の元となる資料として、外板展開図という図面があります。それぞれの形状や取り付け位置と方法について記したもので、旧海軍関連に関しては大和ミュージアムで巡洋艦や駆逐艦の一部の図面が公開されています。

 これらの外板展開図は造船用の図面なので、内容を理解するためには表記法や図面記号の知識がある程度必要になります。ただし戦前の多くの艦艇に用いられていた外板のリベット接合は溶接主体の現代では全く使われていない工法なので、当時の解説書を参考にすることになります。

 戦前の造船の解説書は国会図書館(遠隔)などでも閲覧は可能ですが、図面と現物の仕様を照らし合わせると理解が早まります。実務でも使用された横浜の日本丸の外板展開図は、海文堂刊「帆船図説」p41-42に掲載されていて、図書館や古書市場等で比較的入手は容易です。


 この日本丸の外板展開図と実物の外板の組み方やリベットの打ち方を直接見比べる事で、ある程度図面の内容を把握することができます。特に戦前の商船などで用いられたカウンタースターン(日本丸や氷川丸の船尾形状)の水線下の仕様は、ドックの水を抜く機会がなければまず目にする事ができないので、見学可能な方は是非この機会にと思う次第です。

 この項目は以上です。

空母瑞鳳に関する覚え書き(補足)。

2018–07–31 (Tue)
 前回の続き。

 昭和17年12月の龍鳳とされていた写真が18年末~19年頭の瑞鳳の写真とすると、一つ厄介な問題が残ります。当該の写真は飛行甲板の前端が延伸されてないので、一般的に18年頃と言われている延伸時期と矛盾します。もし行動記録にある19年2月の入渠後に横須賀に寄港した際の撮影とすれば、マリアナ沖海戦に於ける瑞鳳は飛行甲板が延伸されていなかった可能性すら考えられます。

 これに関してはもう一つ引っ掛かる史料があります。福井静夫氏がまとめた機銃等現状調査表で、瑞鳳の艦型図は飛行甲板が延伸前の状態として描かれています。機銃等の設置状況を示すのが目的なので艦型図に厳密性を求める必要はなく、延伸前の図面を流用した可能性もありますが、瑞鳳に関しては19年7月10日の調査時点で飛行甲板が延伸済ならば、艦首の機銃の設置状況が実態と合わなくなります。

 マリアナの決戦を前に艦上機の高性能化に対応して延伸された可能性については、延伸前の瑞鳳の飛行甲板の全長は180mで千歳型と同じ、かつマリアナ沖海戦に於ける攻撃隊の数は川崎まなぶ著「マリアナ沖海戦」に依れば瑞鳳も千歳/千代田もほぼ同じなので、攻撃の実態を以て飛行甲板の延伸を示すことにはなりません。

 実際のところは写真も改装訓令も残っていないので、マリアナ沖海戦の瑞鳳の飛行甲板に関しては推測の域を出ません(同様の問題は龍鳳にもあります)。模型を作る際には割り切って作るしかありませんが、他の空母と同様に判断材料が極端に乏しいのがつらいところです。

 この項目は以上です。

空母瑞鳳に関する覚え書き。

2018–07–29 (Sun)
 光人社の写真日本の軍艦4巻 p77(丸スペシャルNo.38日本の空母II p18)に、上空から撮影された龍鳳と説明のある2枚の写真が掲載されています。先日の瑞鳳の艦尾機銃座の話に関連して、この写真の解釈について質問を受けたので考えるところを書いておきます。
写真日本の軍艦4巻 p77
(丸スペシャルNo.38日本の空母II p18)掲載の二枚の写真より
(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 この上下2枚の写真を比較すると、(1)(2)で示すように後部エレベーターの位置が異なります。また機銃配置も龍鳳の図面とは異なり、下の写真は明らかに違う艦です。

 当時龍鳳とシルエットが似ていた艦として祥鳳型が挙げられます。上空から見た場合の最も大きな識別点は後部エレベーターの位置で、両舷側に張り出した飛行機着艦標識寄りの艦尾側にあるのが龍鳳、3,4番高角砲より艦首側にあるのが祥鳳型です。


 従って該当pの下の写真は祥鳳型と考えられます。舷側や艦尾に機銃が増設されているように見えるところから、珊瑚海海戦で沈んだ祥鳳ではなく瑞鳳のようです。

 海軍艦艇史第三巻の記述によれば、下の写真は古川明少佐が昭和17年12月上旬に浦賀水道付近で撮影したものとあります。しかしながら当時瑞鳳は南太平洋海戦の損傷修理で佐世保工廠に入渠中で、浦賀水道に姿を現すことは物理的に不可能です。従って解説の撮影時期も誤っていると考えられます。

 古川少佐は館山航空隊を経て特設水上機母艦君川丸の飛行長を務められた方で、北方水域に於ける君川丸の鮮明な写真や、昭和19年2月にサイパンから回航中に横須賀沖で損傷していた艦首が折れて立往生した空母雲鷹の上空写真の出所はこの方に依るものです。回想記を元に詳しい経歴を列記します。

昭和16年11月 館山航空隊分隊長
昭和17年12月 水上機母艦君川丸飛行長
昭和18年10月 第四五二航空隊飛行長(館山~大湊)
昭和19年12月 第六三四航空隊飛行長(マニラ)

別冊丸14北海の戦い「特設水上機母艦君川丸と北方作戦」より

 これと瑞鳳の行動記録を合わせてみると、古川少佐(館山、四五二空)が浦賀水道で瑞鳳を撮影可能だったのは昭和17年9月末の横須賀入出港と、18年11月~19年3月のトラック-横須賀間の輸送任務のどちらかです。上に挙げた写真では艦尾の機銃座は不鮮明でわかりにくいのですが、昭和19年時と同じく機銃2基設置で中央に射撃指揮装置があるようにも見え、17年のソロモン海域の艦尾とは違って見えます(左舷の機銃は共に増設済のようです)。従ってこの写真は昭和18年11月~19年3月の間に撮影されたものではないかと考えます。

写真日本の軍艦4巻より
左:昭和17年ソロモン海域、右:上記写真拡大

 しかしながら、もし該当の写真が18年末~19年初めの瑞鳳とすると、模型屋にとって非常に厄介な問題が残ります。長くなるので以下次回に(数日内に更新します)。

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プロフィール

MOMOKO.120%

Author:MOMOKO.120%
職業:自営業見習い
趣味:ブログの通り
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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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