飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(8)補足

2017–04–24 (Mon)
 以下は「南太平洋海戦時の隼鷹」の主題から外れる事なので補足として。



 隼鷹が太平洋戦争中に増設した機銃のうち、昭和18年11月から19年3月の雷撃損傷修理の際に設置された艦首の25mm三連装機銃4基について、マリアナ沖海戦の後に噴進砲が装備された際に単装機銃と取り替えられたとする解釈があり、先日発売されたモデルアート艦船模型スペシャルNo.63隼鷹飛鷹p86-87にもそう書かれています。しかしながら、老猿さんのブログ「海に憧れる山猿」に於いて違うのではないかと指摘されており、私も機銃換装の事実は無いと考えています。

 大和ミュージアムの公開資料の中に昭和19年12月の雷撃損傷の際に佐世保工廠が作成した損傷状況の見取図があり、この図には艦首機銃座を指して二十五粍三聯装機銃とはっきり書かれています。恐らく換装説は雷撃後の損傷写真で右舷の三連装機銃の台座に銃身が一本しか見えない防弾板付きの機銃が写っている所から来ているのではないかと思いますが、防弾板が三連装機銃のものである事と、銃座形状の違いなどから何らかの理由で銃身を二本取り外した機銃ではないかと見ています。

 なおこの写真は右舷艦首機銃座のブルワーク前端が上方に吹き飛ばされた姿が印象的ですが、上記の損傷見取図によればこれは雷撃によるものではなく、3日前の12月6日に荒天下の激浪で受けた被害ということです。当日の気象は波高8m、風速17m、右舷30度の方向から30mの突風が吹き付ける状況で、艦首左右の機銃座の損傷に加え飛行甲板の前端が上方に折れ曲がり、更に雷撃の衝撃で折れ曲がった前端が落下圧潰したとあり、そのためか修理後の艦首機銃座は基部が支柱とサポート部が一体化した形状に変わっているほか、飛行甲板前端の支柱の本数も増やされています。



 前回の記事でミッドウェー後の航空母艦の艤装方針の変更点として艦首尾方向の砲力の増加という事を書きました。実際それ以降に竣工したり改装を受けた空母は艦首と艦尾に機銃や噴進砲を増設していった艦がほとんどですが、唯一例外が存在します。昭和19年3月に竣工した大鳳で、残存する資料では艦首部に機銃座が全くありません。

 ハリケーンバウを採用した関係で艦首前端に機銃座が設置できないのは判りますが、同時期に機銃を増設した隼鷹のように両舷に銃座を設ける事は可能だったようにも思えます。しかしながら残存する航空写真からは艦首部に銃座らしきものは見当たりません。艦首方向からの攻撃に対してこれで良しと見ていたのかどうか、よくよく考えると引っ掛かる点ではあります。

 この項目はこれで終わりです。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(8)

2017–04–22 (Sat)
 昭和17年10月の南太平洋海戦当時の隼鷹の兵装については竣工時+21号電探の設置のみで、機銃の増設は無いとする解釈を多く目にします。先日発売されたモデルアート艦船模型スペシャルNo.63飛鷹隼鷹の作例も同様でした。またハセガワが1/350隼鷹のバリエーションとして竣工直後の飛鷹を発表しましたが、「南太平洋海戦当時の隼鷹も製作可能」と宣伝文に書かれているため、ひょっとしたら増設機銃座や噴進砲座が含まれている部品Kを外してそっくり入れ替えるのかもしれません(この部分は実際に発売されて異なっていたら修正します)。

 しかしながら、私は南太平洋海戦当時の隼鷹は最低でも艦尾機銃座は増設済、そして艦橋前後の機銃についても海戦前に増設されていたのではないかと考えています。その根拠については完成後にまとめて書くつもりでしたが、ここで述べることにします。



 これから検討する事柄には「時系列」の要素が含まれるため、まず隼鷹の竣工時から昭和18年初頭までの主な行動を一覧にしてみます。

昭和17年
 5月3日 竣工
 5月22日 呉出撃、以降アリューシャン攻略作戦に従事
 7月3日 呉帰港
 7月   呉海軍工廠入渠(推定)
 8月13~22日 呉海軍工廠入渠
 10月3日 呉出撃、ソロモン作戦に従事、南太平洋海戦参加
昭和18年
 2月22日 呉帰港
 2月26日~3月15日 呉海軍工廠入渠

 大和ミュージアムの公開資料の中に飛鷹の一般艤装図がある事は以前にも書きましたが、この昭和18年6月14日出図の舷外側面図には艦橋の前後と艦尾の増設機銃座が描かれています。つまり昭和18年6月の時点で飛鷹は竣工時から機銃が増設されていた事になり、それまで入渠時期がほぼ同じだった隼鷹に関しても同様だったと考えられます。

 ただし工事は昭和18年2月の入渠で行われた可能性もありますが、既成艦船工事記録には具体的な工事内容は記されていません。南太平洋海戦当時の隼鷹/飛鷹の艦全体を写した写真や映像も見当たらず直接の検証はできないので、他の資料から増設時期を推測する事にします。

 まず、呉鎮守府戦時日誌の昭和17年7月分の作戦経過概要の造修 工廠工事 施設工事の24日の項目にこのような記述があります。

昭和17年7月24日
官房機密第三三三番電ニ依リ航空母艦ニ機銃増備工事施工ノ件指令

昭和17年5月1日~昭和17年8月31 呉鎮守府戦時日誌(3)
アジア歴史資料センター Ref.C08030325000 p68-69 より

 この訓令は他の鎮守府戦時日誌には記載がなく、内容はわかりません。しかしながら何らかの指令があったことは間違いなく、8月に呉海軍工廠に入渠した隼鷹/飛鷹はこれを受けて機銃の増設工事が行われたのではないかと考えます。

 昭和17年の夏はミッドウェーでの4空母喪失という大敗から何とか立ち直ろうとあらゆる艦船の空母改装が検討されていた時期で、戦訓から艤装方針も変更になりました。ミッドウェーに関しては敗戦隠蔽のために戦訓研究が禁止されたという話もあるのですが、艦の構造や運用に関する問題点についてはすぐに調査が始められたようです。

 以前にも触れた防研資料「発着兵器基地兵器関係」(登録番号⑥技術-兵器-292)の中に、「航空母艦艤装改善ニ関スル方針ノ件仰裁」と題された昭和17年9月22日付の稟議書の写しがあります。頭に「戦訓ニ鑑ミ」と有るので、恐らく珊瑚海とミッドウェー両海戦の戦訓から既存及び建造する航空母艦の艤装方針の改善を求めたものと考えられます。
 この書類には全体方針としてこう書かれています。

一.艤装改善ノ重點ヲ左ニ置クモノトス
(ロ)消防諸施設ニ對スル改善
(イ)揚爆彈魚雷装置ノ改善
(ハ)防禦甲板以下ニ對スル交通及連絡ノ確保
(ニ)對空諸兵装(見張施設ヲ含ム)ノ强化
(順は原文通り)

 そのうち、外形に直結する(ニ)の詳細について列記すると、

四.対空諸兵装ノ强化ニ關スル事項
(一)見張施設
  眼鏡装置ハ現狀ノ二倍程度ニ增强シ且報告費消時ヲ極力短縮ス
  ル如ク見張指揮裝置ヲ改善ス
(二)砲熕兵装
  (イ)主トシテ機銃ニツキ特ニ艦首尾方向ノ砲力增加ヲ計ル
  (ロ)高角砲及機銃ノ旋回俯仰能力ノ增大ヲ計ル
  (ハ)高角砲及機銃ノ俯角ヲ增加ス
  (ニ)機銃ノ射程增大ニツキ研究ス

 ほぼ同規模の艦として昭和17年1月に完成した祥鳳と11月の龍鳳の機銃配置を比較すると、龍鳳には艦首と艦尾に機銃が増設されている事がわかります。またソロモン海域での翔鶴型や瑞鳳も艦首と艦尾に増設機銃座が写っている写真や映像が残されています。従って上記稟議書の「艦首尾方向の砲力増加」については、書類が作成される前に既存の航空母艦への兵装強化策の一環として実施されたようです。

祥鳳と龍鳳の竣工時の機銃配置
(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 これらのことから、隼鷹の増設機銃座に関して、少なくとも艦尾のものは、8月に呉海軍工廠に入渠した際に上で述べた官房機密第三三三番電の機銃増備工事指令を受けて設置された可能性が高いのではないかと考えます。艦橋前後の機銃に関しては強化方針を示した文献などは見当たりませんが、南太平洋海戦当時の翔鶴型が増設されていた事から、隼鷹についてもこの時に増設されたのではないかと推測します。

 なお「見張施設の強化」に関しては、隼鷹の防空指揮所上の双眼鏡は図面上では竣工時の13基から大戦末期には21基に増設された事が示されていますが、南太平洋海戦当時は6cm双眼鏡2基の増設程度に留まっていたのではないかと見ています。この根拠も長くなるのでまた艦橋の製作に入った折にでも触れることにします。

 隼鷹の増設機銃についてはまだ少し書く事があります。続きは数日中に。

ハセガワ1/350隼鷹を作る(その15)

2017–04–15 (Sat)
 今年も年度末が無事に過ぎましたので、製作を再開します。



 ごく最近まで船の模型の吃水線下は軸回りと舵とビルジキール程度しか付いていないのが普通でしたが、資料公開が進んだ事によって聴音機や給排水口のモールドが付いたものも出てくるようになりました。

(本日の画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 これはフジミの1/350空母飛龍の船底部のモールドですが、多数の給排水口のモールドが付いています。これは船体諸孔付きの入渠用図に依るもので、大和ミュージアムの公開資料の中に含まれています。他にも、状態は様々ですが戦艦比叡や空母龍驤、5500トン軽巡に矢矧、駆逐艦などの図面も公開されています。靖国偕行文庫の公開資料にも戦艦霧島と駆逐艦の図面が何種類か有りますが、こちらはあまり綺麗ではなく文字の判別が難しいようです。

 この船体諸孔付きの入渠用図は市販の資料ではほとんど目にしないものなので少し説明します。原資料は引用できないのでイメージで示しますが、


 このように船体の図に開孔部の位置と役割を示した表がセットになっているもので、他に開孔部の大きさや中心線または舷側の特定位置からの距離などが書かれています。それで、前に製作した阿武隈では図面があったのでそれに従いましたが、隼鷹のものはありません。無いから艦底のっぺりというのも格好がつかないので、それらしいものをでっちあげ作ることにします。

 ここでは艦の大きさと機関配置が似ている飛龍の図面を用います。まず描かれている全ての諸孔を分類すると大体このようなくくりになります。

・缶室に関係するもの
・機械室と軸系に関係するもの
・発電機に関係するもの
・ポンプに関係するもの
・弾薬庫に関係するもの
・測程儀と探信儀に関係するもの

 この分類を元に飛龍の船底の図面に諸孔図をトレスして区画との位置関係を確かめます。ポンプ系統は専用のポンブ室とつながっているものはその場所に、他は穴の位置する区画内とします。

 次に方眼紙に1/350で隼鷹のフレーム番号と大まかな内部配置を描いた上で、飛龍の区画配置を当てはめる形で諸孔位置を描いてゆきます。ただし飛龍と比較して缶室が4つ、機械室と軸が2つ少ないので、その分を差し引きます。


 そうやって描いたのがこの図。たぶん間違っているのでしょうが、まるっきりの空想でもないのでこれで製作する事にします。
 

  ハセガワが5月の静岡見本市の新製品として1/350飛鷹を発表しました。昭和17年8月ということで予想通り竣工時のキット化のようですが、気がかりなのは「南太平洋海戦時の隼鷹も再現可」とある点。これは実際の仕様を見ないと何とも言えませんが、もし竣工時+21号電探=南太平洋海戦時と捉えているなら解釈に疑問があります。次回はその事について少し書きます。

活動は4月中旬まで一時停止します。

2017–03–18 (Sat)
 例年通り、今年も年度末につき4月中旬まで一時製作活動を中断します(実質的には先月から止まっていましたが)。ツイッターも特別な案件などがなければ停止します。

 1/350隼鷹の現状は、実艦に関する洗い出しが一段落付いたので、4月の再開後は船体の製作に入ります。現在は折を見て新田丸級客船と大鷹型空母について調べ物をやっています。別に1/350で大鷹型が出るとかそういう事ではないのですが、内容についてはいずれまた。

(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 図面と船体パーツと方眼紙。何に使うのかは次回以降に。

飛鷹型航空母艦に関する覚え書き(7)

2017–03–04 (Sat)
 以前にツイッターでこう書いたところ、「隼鷹への21号電探の設置時期は17年5月ではないのか」という指摘を受けました。
 模型用の資料に17年5月と7月の両方の記述が混在している事は承知しています。結論を先に書けば「明確に17年7月設置を示した一次資料は無いが、物理的に5月に設置できた可能性は限りなく低い」と考えています。今回はその事について少し書きます。



 17年5月設置の根拠は恐らくこの記述が元なのだろうと思います。

内海西部で公試を実施した隼鷹には21号電探が装備された。本艦は電探を増設してMI及び北太平洋作戦(アリューシャン攻撃)に参加した数少ない艦の一隻。

福井静夫著「海軍艦艇史3」(KKベストセラーズ刊)p171 より

 しかしながら、電探を開発した側の資料や回想にはこれを裏付ける記述が見当たりません。福井氏に隼鷹の電探の写真を貸し出した伊藤庸二技術大佐は、「機密兵器の全貌」(興洋社/原書房刊)の中で21号電探開発の経緯についてこう述べています。

時は一七年の四月。出撃は六月である。その間に二一號電探と二二號電探とを間に合はせて、伊勢と日向とに夫々裝備しなければならない。(中略)そして出發に間近い頃にやうやく裝備實験が行はれた。(中略)實験委員會は、二一號は裝備を可とするも、二二號は撤去す可しときまり、時期をまって二二號は撤去することゝした。此の時旣に出動の時期はせまり、两艦は研究所の熟練技術者二名(中略)ずつを乘組ませて、進攻作戰に參加したのである。

「機密兵器の全貌」(原書房復刻版)p135-136より

 また、以前にも紹介した桜と錨の海軍砲術学校のサイトで公開されている「海軍電気技術史」第五部p92にも、「実験用として17年5月に伊勢に21号電探を試験装備」した旨の記述があります。

 次に、防衛研究所所蔵「航空母艦交戦記録行動調書」(登録番号④艦船・陸上部隊-行動調書-74)から、隼鷹の17年5月の行動記録を抜き出すと、以下の通りとなります。

昭和17年
 5月3日 竣工
    3日~7日 呉
    7日~8日 安下庄
    8日~11日 佐伯湾
    12日~13日 長島
    16日~17日 別府
    18日~19日 佐伯
    19日~21日 呉    
 5月22日 呉出撃、以降アリューシャン攻略作戦に従事

 日付の飛んでいる部分は判読不能や該当する地名が見当たらなかった所ですが、この時期所属航空隊は佐伯に移動してアリューシャン作戦への訓練に当たっていたため、いずれにせよ隼鷹は瀬戸内海西部や豊後水道を移動しながら発着艦訓練に就いていたものと考えられます。伊勢の21号電探の正確な試験日は判りませんが、仮に実用可の結論が出たとしても、この行動記録の記述が正しければ21号電探の装備が可能だったのは5月19日から21日迄のわずか3日間しかありません。上で引用した伊藤技術大佐の「出撃間際の実験」(伊勢の呉軍港出撃は5月29日)が正しければ全く間に合いません。

 宇垣纏中将の陣中日記「戦藻録」(原書房刊)に、この電探実験の時期を伺わせるくだりがあります。

(昭和17年)五月廿七(27)日 水曜日 曇
(略)
電波探知器漸く伊勢、日向に裝備を終わり、技術研究所長二階堂中將等挨拶に來れり。果して充分なる價値を發揮するや否や、
(略)

 この記述からも、装備実験が5月の早い時期では無かった事が推察できます。

 隼鷹にはもう一つ、竣工前または5月3日~7日迄の間に装備した可能性も残りますが、伊勢の試験の前でかつ兵器として使えるのかどうかもわからない試験搭載だった訳ですから、電探開発側の資料に何も記載されていない点に疑問があります。



 では7月に設置可能だったのかという点ですが、上で述べた防研の空母行動記録には7月に呉海軍工廠に入渠した旨の記述はありません。しかしながら、主機タービン関係で何らかの修理作業があった事を示唆する記録が残されています。

 アリューシャン攻略作戦に従事した第四航空戦隊は、ミッドウェー海戦の敗戦を受けてアメリカ空母部隊の進攻が予想された事から7月上旬まで警戒態勢に当たっていましたが、隼鷹は6月末に龍驤と分離して一足先に呉に帰港します。

舞鶴鎮守府戦時日誌(昭和17年6月分)アジ歴ref.C08030354300 p42より

発28日0810 北方部隊指揮官
着28日1800 二機動部隊 六駆指令(通報 長官外)
北方部隊信電第二二号
一.隼鷹呉ニ回航修理ノ件
(以下略)

高松宮日記(中央公論社刊)第四巻p284-285より

北部<北方部隊>(28-2100) 主隊・支援隊、第ニ機動部隊(「隼鷹」(呉回航タルビン修理)、「曙」「響」欠)陸奥湾出撃二〇〇〇。

 これらにより、隼鷹は7月3日の呉帰港後に修理作業が行われ、その際に21号電探を設置した可能性が高いのではないかと考えています。

 なお、呉鎮守府戦時日誌には隼鷹への電探装備の訓令は記載されていません。ただし経過概要の7月11日の項目に『官房機密第八四四五号ニ依リ軍艦隼鷹艤装一部改正ノ件指令』という記述があります。この内容はわかりませんが、以前に方位探知機アンテナについて艦橋への21号電探の装備に伴い1.5m測距儀と方位探知室及びアンテナが移設された事を書きました。すなわち単純な兵器の増設だけではなく装備品や区画の移設を伴う工事だったために「仮称二号電波探信儀装備の件」ではなく「艤装一部改正」という表題になったのではないかと考えています。

 この項目は以上です。

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MOMOKO.120%

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現在は1/100初代海王丸の製作を一時休止して、ハセガワ1/350空母隼鷹を製作しています。

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